義母が「姑の鏡」である5つの理由
私には姑が二人いる。一人は昨日書いた、ちょっと(?)変わった「口うるさい姑」(詳しくはこちら)。今日取り上げたいのは、正反対のタイプの「口うるさくない姑」。
彼女は、人格者で「姑の鏡」のような人。結婚したての時、「お姑さんとどう?うまくやってる?」と興味本位で聞いてくる人がいた。「はい、すごいいい人なんですよ」と言うと「またまた~!そんなはずないでしょ?いい嫁ぶっちゃって!」と、はなから信じてくれない。
霧立は妊娠して子どもの性別が男の子だと分かった日、自分がいつか「姑」になることを重い課題として受け止めた。なにせこのように、「姑」は世間の嫌われ者だからだ。
しかし、幸いなことに自分には「よいお手本」がいる。今日は、
- お嫁さんとよい関係を築きたいお姑さん
- 「姑予備軍」の男の子のお母さん
に向けて書いていきたい。
「口うるさくない姑」の基本情報
この「口うるさくない姑」とは、霧立の夫(マナブ)の母。「古い女」と書くこの言葉は、あまり好きではない。「姑」という言葉のイメージもあまり良くないので、霧立の義理の母を「姑」と呼ぶのは相応しくないと思ってしまう。しかし、今日は便宜上この呼び方でいきたい。
さて、この「口うるさくない姑」の基本情報はこんなかんじだ。
- 70代半ば
- いわゆる「お嬢様」として育った
- 英語が得意で英検1級を持っている
- 字を書くのがおそろしく上手
- 子供は4人(マナブは末っ子)
- 茶道の心得もある
さて、このスペックからすると「とっつきにくいお姑さん街道まっしぐら!」という感じがする。ところが、本人はその正反対なのである。一体それはなぜかなのか??
親しみやすい姑である理由
大阪弁
義理の両親はともに大阪人。しかし、東京に出てきてかれこれ50年くらいが経つ。本人は、
「お母さん、もう大阪弁なんてしゃべってないわァ!」
と言っている。しかし、その「ないわァ!」の「い」にアクセントがついているだけで、霧立には立派な大阪弁に聞こえる。そして、それが聞いていてとても和むのだ。
日本語の標準語は、人工語。冷たくて、つまらない言葉だ。スコットランドに来て初めて気が付いた方言の魅力。方言はとんがったところがない。大阪弁で話す義母の言葉はやわらかい。本人には、
「お母さん、東京弁やで?」
と反論されそうだが…。
ちょっと抜けている…
義母は英語が堪能だ。イギリスで生活していた時期もあるので、今でも英字新聞を読んだり、BBCのニュースなんかを見ちゃう人。長年英語を教えていたし、今でも英語の読書会のリーダーなどしている。70代なのに向上心があって、すごいなあと思っている。
それなのに…。
“Starbucks”のことを、いつも「スターバック」と言う。
「お母さん、今日スターバック行ってきたわぁ。」
と言うと、マナブがすかさず、
「お母さん、『スターバック』じゃないよ!なんでいつも”s”取っちゃうのかなぁー。」
と訂正するのを霧立は横で聞いてクスクス笑っている。この完璧ではないところ、ちょっと抜けているところがいいのである!
プライドがない!
普通、そこまで英語が得意だったりするとみんなの前で間違いを指摘されたら恥ずかしいとか、プライドが傷つくとかあっても良さそうだ。しかし、義母にはプライドというものが全くない。
「あら、そーやったっけ?どっちでもえーわ。」
でおしまい。サイコー!!
プライドほど人と人とを遠ざけるものはない。変なプライドがない人は、本当の意味で自分自身の価値を分かっているのだと思う。素晴らしいことだ。
義母が「姑の鏡」である5つの理由
1. 前向き
とにかく前向きだ。彼女は、失敗したら「まずどうすれば良くなるか?」「解決に必要なのはなにか?」を考える。失敗の原因が誰にあったとか、そういう風には考えない。
「失敗しちゃったんだから、そんなのしゃあないじゃない。どうすればいいか、考えよ?」
これは、特に霧立が見習わなくてはならない姿勢。霧立はネガティブ思考にはまって、立ち直るのに時間がかるから…。
子供4人を育てた経験かしら?とも思う。男の子3人、女の子1人を育てていたら、「小さなことなんか気にしてられないわよ!」と以前言っていたことを思い出す。
2. 人のいいところを見つけて褒める
「灯さん、すごいわぁ~」「灯さん、エライわぁ~」と、義母はよく霧立に感心している。霧立にしてみたら、なんでもない小さなことなのに、本当に感心して褒めてくれるのである。
そして、それは霧立だけでない。彼女は、他の人のいいところを見つけて素直に褒める人なのだ。これは「プライドがない」というのとつながっていると思う。
3. 干渉しない
義理の父母は、結婚してから、我々のことをいつも遠くから見守ってきてくれている。こちらから意見を聞けば答えてくれるが、向こうから意見を言ってくることは一度もない。
私たちのことを見ていてきっと「あれは違うんじゃないかな…」ということもきっとあっただろう。でも、一切口を出さない。
これはすごいこと。未熟な子供夫婦を尊重することは、簡単なことではないはずだ。
4. 自分の人生を生きている
年をとっても自分の趣味があったり、やるべきこと(仕事でもボランティアでも)があることは、いいことだ。子供夫婦の事を自分と切り離せるし、何より自分の人生が充実する。自分の人生が充実している人は、意地悪なことは言わないものだ。
将来「姑」になりそうな人は、年老いても続けられる趣味か何か見つけておく必要がありそうだ。
5. 子離れしている
「あれ、あんた、いまいくつだっけ?」と、義母は、自分の子ども(マナブ)の誕生日も年齢も時々忘れる。(4人も子どもがいるから、そんなものかもしれないが…。)だから、時々霧立にまで誕生日にカードが届いたりすると感激する。
孫のことも可愛がるけれど、よくいる「孫に溺愛しているおばあちゃん」というタイプでもない。自分の人生を生きている人は、子離れも出来ている。
もちろん、子供の仕事が上手くいっていない時やなんかは、すごく心配している。義母はいつも、自分に出来るだけのことはして、あとは神様にお任せするというスタンスだ(彼女はクリスチャン)。
子離れというのは、本当に難しいと思う。子どもが40、50になっても子離れ出来ない親もいると聞く。
子離れは、急に出来るものではない。子育てをしている段階から、「子育て」=「自立させる」という意識をいつもどこかで持っていることが大事だと思う。
また、そのためにはよい夫婦関係を保っておくことも不可欠だ。夫婦関係が上手くいっていないと、子どもに注ぐ愛情がいびつになりがちだ。「子供は自分の所有物ではなく、一人の人間である」ということを忘れたくないものだ。
まとめ
こう書いてみると、口うるさくなくても、身をもって義母から教えられることは絶大だなあと思う。世の中の「口うるさい姑」として疎んじられている人たちは、結局何も示せていないどころか、逆効果なのかもしれない。
霧立の場合、義母からは人間として大切なものを、山中さんからは実用的なことに加えて生活に対する丁寧な姿勢を教えられている。
「口うるさい姑」と「口うるさくない姑」。この二人は、それぞれ違った「人生の知恵」を教えてくれる、最強の姑コンビだ。こんな「二人の姑」を持つ霧立は、なかなか恵まれていると思う。
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