好きなこと、もの
子どもの頃から自然や古いものが大好きでした。
若葉が出てきたばかりの春先、山々がやわらかいきみどり色で彩られていた風景に車の窓ごしに心奪われ、見入っていたの今でも覚えています。私にとっての原風景の一つです。
小学生の頃、古道具屋で見かけた囲炉裏に突然恋い焦がれ、自宅の和室に囲炉裏を切って欲しいと親に頼み、困らせたことがあります。残念ながら囲炉裏は実現しませんでしたが、今は薪ストーブを家に備えています。全室床暖房のある家に住んだこともあり、それはそれはとても快適でしたが、私には薪ストーブのゆれる炎を見ながら温まるほうが性にあっています。
決して器用な方ではありませんが、なんでもよく自分で作るのが好きです。買ってしまった方が簡単で、安上がりということさえある現代社会です。でも、自分の手でつくることが好きなのは、地に足がついた生き方のように私には感じられるからです。生活の中の出来ることをなるべく自分でやることこそ、「生きている」という実感がしてきます。
音楽やヴァイオリンは私にとって、人生の大きな部分を占めています。ヴァイオリンは4歳で習い初めましたが、楽しいと思えるようになったのは、ちょうど子ども用の小さな楽器からフルサイズの楽器に変えた時くらいからです。それが大学時代には夢中になり、それ以来オーケストラで弾くようになりました。仕事や結婚、出産で忙しかった時でも、なんとかつながっていられました。最近は新しい楽器も買って、ますます「ヴァイオリン熱」が高まっています。
「The Lighthouse Keeper」の由来
私は海が好きで、その広い海原を見ていると心が海に溶け込んでしまいそうになるくらい惹きつけられます。でも、昼間輝いていた海は、夜には闇に飲み込まれて真っ暗になります。どこまでも広がる海は、冒険や漁で出ていくところではありますが、人間の住むところではありません。私たちは必ず、陸地に、家に帰ってきます。
“The Lighthouse Keeper”というのは、灯台で灯をともすことを仕事としている人のことです。どんなに霧が濃くても、星が見えないような暗い夜でも、人々が無事に港に戻ってこられるように毎日灯をともします。
私は、自分のブログがそんな「灯台」のような存在になったらいいなと思っています。私のブログは「こうしたらお金持ちになれる」「こうしたら成功できる」「こうしたらもっと美しくなれる」という類のことは扱っていません。そうではなくて、毎日忙しすぎて疲れ果て、日常のシンプルなよろこびを失ってしまっている人たちに単純な「日常の幸せ」を指し示すことを目指しています。
霧立灯の考える「豊かな暮らし」
我が家に泊まりに来た人はしばしば、私たちの生活ぶりを見て「贅沢な暮らしだね」と言います。中には私たちより、ずっと経済的には豊かな人もいました。
その人たちは私たちが経済的には決して裕福ではないことを知っています。彼らは、明らかにお金で買う贅沢とはちがった「贅沢」のことを言っていたのです。
無理して高級レストランに行ったなら、心からくつろげないかもしれません。マナーにも気を付けなくてはいけませんし、後に高額な支払いが待っていることを知っているからです。
私が一番贅沢だと感じるのは、他に誰もいない美しい大自然の中でキャンプをしている時です。何も気にすることなく、ただ目の前にある最高の美しさを愛する家族と思う存分享受できるからです。
本当の贅沢というのは、心がすみずみまで安楽で満ち足りた状態を言うのではないでしょうか。
「贅沢」というとなんだか非日常な感じがしますから、私は日々の暮らしの中では「小さな豊かさ」を求めていきたいと思っています。いくらお金を使ったかではなく、心から満ち足りる経験です。
そんな小さな豊かさを、このブログにたどりついて下さった方々と共有できたらと心から願いっています。
ブログを始めたきかっけ
小さな子どもがいるので、長期休暇に子どもを預けてまで仕事をしたくないという思いがありました。しかしブログなら場所や時間にとらわれずに取り組めることと、私は文章を書くのが昔から大好きなので、これは始めない手はないと思ったのでした。
それから、私は日本にいても海外にいても、そこが自分の本当の居場所ではないといつもどこかで感じていました。完全になじんでいない、という感じです。そんな私にとって「書くこと」はまさに自分の居場所を作ることでした。また、ブログというのは単なる日記ではなく社会に発信していくものですから、社会との接点も生まれてくるわけです。「自分の居場所」から社会とつながれるなら、そんなに素晴らしいことはないと思っています。