【体罰の禁止】行き詰まるイギリスの学校教育
イギリスでは、学校でも家庭でも体罰が法律で厳しく禁止されている。最近、スコットランドでは、親がする「おしりペンペン」ですら、法律で禁止される動きになっている(2018年12月現在)。
しかしこれは最近の動きで、イギリスではひと昔前まで教育現場で日常的に鞭が使われていた。スコットランドの私立校では2000年になってようやく鞭が禁止されたほどだ。
鞭を取り上げられた教師たちは、一体どうやって子どもたちを指導しているのか?
どこまでが「体罰」なのか?
「おしりペンペン」ですら「体罰」と見なされる国なので、平手打ちや胸ぐらをつかむことは立派な体罰になる。また、暴れている子どもを抑えたりすることも禁止されている。
私がボランティアとして子どもを教えていた時、ある多動性障害を持った男の子がクラスで暴れ出した。椅子を蹴飛ばして歩き回っていたので、私はとっさにその子の腕をつかんだ。
そうしたら、「アカリ、手でつかまないで下さい」と一緒にいたスタッフから注意された。そうえいば講習を受けた時、「子どもの身体をおさえてはいけない」と言われたのを思い出した。
後で、「すみません、忘れてました。とっさにやってしまったのですが」と言ったら、「そうなんですよね、あの子を接触せずにコントロールするのははっきり言って無理なんですよね…」と彼も限界を感じていたようだった。
問題行動への対処方法
我が家のユウは地元の公立小学校に通う4年生(日本では2年生)。彼の学校では、問題行動にどのように対処しているのだろうか?
クラスで外に出る
クラスメートのレオ君は、かなりの癇癪もち。自分の思い通りにいかないと、ブチ切れて椅子を蹴ったり、机の上でジャンプしたり、床を踏み鳴らしたりするそうだ。
担任教師は、30代前半の若い女性。そんな時どうするのかと言うと、レオ君一人を教室に残して、クラス全員校庭に出るそうだ!
怒ってカンカンになったレオ君は火事や地震扱いなのか、まるで「避難」さながらの対応ぶり。レオ君の怒りが沈静化するまで、校庭で待機するとのこと。先週は、3回もみんなで校庭に出る騒ぎになったそうだ。
「でも、レオ君が怒るたびに外に出ていたら、授業はどうなるの?」と聞いたら、「外で先生が掛け算教えてくれたヨ」とユウ。今は冬だし、雨や雪が降っていたらどうするんだろう?と思わずにはいられなかった。
マナブ(夫)は、「暴れている子どもの権利もそりゃ大事だけど、その他の子どもの授業を受ける権利がたった一人の子どものために侵害されるのはどうなんだろうね?手で触っておさえてもいけない、っというのはちょっと行き過ぎじゃないのかなぁー。」と首をかしげていた。
上級生のクラスに派遣
お次は、ちょっと面白い「はずかしめの刑」。態度が悪い生徒は、上級生のクラスに送られるのだ。ユウたちの4年生の「問題児」は、6年生か7年生のクラスに送られる。
「5年生じゃ、ちかすぎて、おともだちのかのうせいもあるから、ずっと大きいひとたちのクラスにいかされるんだよ」とユウ。確かに8歳児が高学年のクラスに一人送られ、上級生にジロジロ見られたら縮みあがってしまいそうだ。
ちなみに、問題行動を起こした子どもは、クラスメート2人組に付き添われて上級生のクラスに送迎される。この「看守」のような役目だが、たまにユウも担任から指名されて悪友に付き添うことがあるそうだ。
逆にユウたちの4年生のクラスにも、よく送られてくる2年生の「問題児」がいるらしい。そういう時、担任は、
「その子に話しかけてはいけません。その子は、みんなにジロジロ見られてはずかしい思いにならないといけないのです」
と言ったという。霧立はこのお仕置き方法を、勝手に「はずかしめの刑」と呼んでいる。
「で、そのやり方は効果あるの?その子、しょっちゅう送られてくるんでしょ?」と聞くと、「その子には、ほとんど効果ないと思うなぁー。だってしょっちゅう来るもん。」とユウ。
確かに小さな子には、上級生にジロジロ見られようが、特にあまり意味がないのかもしれない。
自由時間の削減
ユウの学校では「リワードタイム」(「ご褒美の時間」)という名の自由時間が毎週金曜日にあるらしい。フルだと15分なのだが、望ましくない行動をすると、リワードタイムがどんどん削減されていく。かなり「悪行」を積んでしまうと、最悪リワードタイムが0分になってしまう。
「そういう子は、その時間どうしているの?」と聞くと、「砂時計がおちるのを見ているんだよ」とユウ。みんなが周りで遊んでいるのを尻目に、自分の席に座って砂時計を見つめていなければいけないのは、かなり憂鬱だろう。
しかし、それでもあまり効果がないらしく、いつも決まった子どもがリワードタイムを削減されている様子。
行き詰まるイギリスの学校教育
「問題行動」に対するどの方法を見ても、あまりぱっとしない。上記のような「お仕置き」を受けている子どもの名前はいつも代わり映えがしないところをみると、効果もあまりないようだ。
体罰は、肉体的な痛みを通して子どもを懲らしめ、「問題行動」を矯正することが目的だった。法律的には体罰は禁止されたが、子供を「懲らしめる」ことによって矯正する、という意識は、いぜんとして強いように感じる。上級生のクラスではずかしめることも、リワードタイムを削減することも「懲らしめ」に当たる。
子育てにおいても、「そんなことしたら、どんな結果(consequence)が待っているかを教えてやらなきゃ!」という強硬派が今でも多い。そして、この”consequence”(「結果」)というのは、「問題行動」とは本質的に関係のない「罰」を意味することがほとんどだ。体罰はなくなっても「罰」がしつけの根幹にあるのは、今も昔も変わっていない。
癇癪を起した子どもを一人残して、クラス全体が校庭に出るのは、「懲らしめ」ではない。その子をクールダウンさせるのには有効だと思う。でも、クラス全体が一人のために校庭に出なければいけないというのは、戦略的に負担が大きすぎる。
また、暴れている子どもの身体を拘束できないというのは、あまりに行き過ぎのように感じる。子ども同士が殴り合いの喧嘩をしていたり、強い子が弱い子に一方的に暴力を振るっている場合はどうするのか?
このように鞭を廃止してから、イギリスは極端から極端に振れ、適切なバランスを見失っているように思う。教育現場ではあれこれ試しているものの、これといった解決方法を見いだせていない。(実は鞭も、問題行動の根本的な解決方法にはならなかったのだが。)
そもそも、イギリスの教育現場で鞭が廃止されるきっかけとなったのは、自国の世論の動きからではなかった。ヨーロッパでの裁判に持ち込んだ2人の母親が勝訴したことが、発端だった。
このように、外から言われてやめた体罰なので、深い子供理解や教育哲学が教育方針転換の核となっていたわけではないのだ。
表面的な「問題行動」を懲らしめによって押さえ込もうとするのは、体罰よりははるかにいいものの、問題解決にはならない。子供が自分で考え、自分の感情や行動をコントロールすることこそ学ばなければいけないことを、学校は気づき始めてはいる。振り子が右から左に一気に振れた今、イギリスの教育現場はバランスの取れた立ち位置の模索を迫られている。