
ベートーヴェン(1770‐1827)といえば、耳が全く聞こえなくなっても作曲を続けた孤高の天才として有名だ。しかし、ベートーヴェン生誕250年となる今年(2020年)、ある音楽学者によって、その通説が覆される研究が発表された。
新事実を発見した学者とその主張
セオドア・アルブレヒト教授(Theodore Albrecht)
オハイオ州ケント州立大学・音楽学
ベートーヴェンの聴力の低下は深刻ではあったが、完全に聞こえなくなったわけではない。
The Observer 02.02.30
アルブレヒト教授によれば、ベートーヴェンは1824年5月の第九の初演の時に聴力を残していただけでなく、 少なくともその後2年間は聴力を残していた可能性が高いという。
また、1826年3月の弦楽四重奏(Bフラット、Op130)の初演の時ですら、かすかに聞こえていたというのである。つまり、これは死去するわずか1年前のことであり、そうだとしたらベートーヴェンは死ぬ直前までわずかながらにも聴力を残していたということになる!
決め手は筆談に使っていたノート
ベートーヴェンの聴力は、1798年頃から低下してきたと言われている。そして、1812年から1816年の間に、Ear trumpetと呼ばれるトランペット型の補聴器を使っていたが、効果はほとんどなかった。
そこで、ベートーヴェンは1818年から、「筆談ノート」を持ち歩くようになった。それで、家族や周囲の人たちとコミュニケーションをとっていたのである。
この筆談ノートによると、1823年のある日、ベートヴェンは行きつけのカフェで同じく難聴を患った見知らぬ人から相談を受け、以下のようにアドバイスを書き記している。
「 お風呂に浸かるのと、田舎の空気は色々なことを改善してくれますよ。(Ear trumpetのような)機械装置は初期の段階で使わないことです。そういったものを使わないおかげで、私は左耳の聴力をかなり保てていますよ。」
これは第九初演のわずか1年前のノートである。そして、こう加えている。
「 可能な限り筆談をお勧めします。(その方が)聴力を温存することになります。」
また、1824年に彼のところを訪れたある音楽家が次のような筆談を残している。
「あなたは、十分序曲を一人で指揮できるじゃないですか。協奏曲全部を指揮するのは、耳を酷使することになります。だから、私はやらない方がいいと思います。」
指揮が出来る、ということはかなり聞こえていたということではないか?明らかに1824年の時点でもベートーヴェンが聴力を残していたことが分かる。
アルブレヒト教授はすでにこのような「証拠」を、筆談ノートから23カ所も見つけている。そして、今後の研究によってもっと多くの証拠が見つかるだろうとしている。
新たなベートーヴェン像

「全く耳が聞こえなかったのに、第九のような交響曲を作曲した悲劇の天才」というこれまでのベートーヴェン像は、このアルブレヒト教授の研究によって全く新しいものになった。
もちろん、極度の難聴に悩まされる中であれだけの大曲を作り上げたベートーベンの功績は揺るがない。
しかし、彼を神格化したり悲劇のヒーローとするのではなく、等身大の悩める人間として見ことで、作品理解も変わってきそうだ。

筆談ノートの出版
このベートーヴェンの筆談ノート、全12巻中の第3巻が今年2020年の5月に英語に翻訳され出版される予定(£45)。
ベートーヴェンファンにとっては、彼の日常に迫るまたとないお宝資料になりそうだ。