日本に旅行に行った友人たちからは、よくこんなお褒めの言葉をいただく。
「日本、最高だったよ!すごいみんな丁寧で親切だった。特にお店の人たちの接客はすごいね!」
霧立はこれを聞くたびに、複雑な心境になって返答にまごつく。旅行で見えるものは、ほんの一部だからだ。友人たちが日本でよい体験が出来たのはうれしい。しかし彼らの日本評価に対しては素直に同調できな何かがいつも私の心にひっかかる。
今日は、世界に誇る日本の接客サービスに、一体何が欠けているのかを考えてみたい。
日本の接客サービス
礼儀正しく勤勉
確かに、日本の店員はとても礼儀正しい。レジ係の店員が、まず両手を合わせ、「いらっしゃいませ」と深々とお辞儀をしてから品物をスキャンし始めるスーパーもある。一時帰国をした時に、度肝を抜かれた。礼儀でいえば、間違いなく世界一だ。
商品棚にない商品の在庫を尋ねれば、ダッシュで在庫の確認に行って戻ってくる。まさに全力で仕事をしている。こちらでは店員が走っている姿など、お目にかかったことがない。キビキビ動いているのは店長ぐらいなので、誰が店長なのかすぐ分かってしまう。
商品の扱いが丁寧
イギリスの店員は、商品の扱いがとても雑だ。先日、スーパーのレジで並んでいた時のことだ。あまりにレジ係が乱暴に商品をスキャンしていくので、前の客が買った桃が二つ床にゴロゴロ~と転げ落ちた。どうするのかと思ったら、客が自分で拾って何事もなかったかのように会計を済ませた。
霧立は目が点になった。
だって、桃ですよ!!落っことしたら致命的な果物の代名詞のような桃!
日本だったら、「申し訳ございません!」と言って店員がそれこそ猛ダッシュで交換してくれることだろう。ちなみに、この時の店員は「ソーリー」の一言もなかった…。
またその前の週は、霧立がノートを買おうとした時、レジ係の店員がノートの表紙だけを掴んで乱暴に引っ張ったので、「ビリっ」と鈍いを音を立ててノートの表紙が破けた。
普通、表紙だけを引っ張るかね?!
と思ったが、急いでいたのと安物のノートだったのでそのまま会計を済ませた。もちろん、「ソーリー」の言葉は聞かれなかった。店員は” See you later!”とニコニコしていた。悪気は全くないのである。
日本では商品はとても丁寧に扱われる。スーパーのレジ係は、割れやすい卵や傷つきやすい果物は、最後にカゴの上に乗せるように配慮してくれる。生ものと野菜が隣り合わせにならないように、別の袋に入れてくれることも通常サービスだ。デパートでは雨の日には紙袋にビニール袋をかけてくれる…!
今、思い出しながら書いていても、「えー!そういえばそうだった!」とビックリしてしまうような配慮ばかりだ。日本に旅行に行った友人たちが驚くのも無理もない。
作られた礼儀正しさ
しかし。しかしである。日本の店員の礼儀正しさは、時に無機質に感じられることがある。礼儀正しいのは、不愛想な店員よりははるかにマシなのだが、そこに人間味が感じられないのである。
個人経営のお店はそうでもないのだが、チェーン店だとその傾向が強い。多分、日本旅行から帰ってきた友人のコメントに素直に同調できない理由は、ここにある。
礼儀正しく、配慮が行き届いて一見完璧なのだが、そこには人間味が欠けている。人間味のない接客サービス。実は、もしかして…画竜点睛…?
「人間味のあるサービス」に必要なもの
柔軟さ
日本の店員は礼儀正しく勤勉だが、きっとマニュアルの管理が行き過ぎているのだろう。その人らしさが感じられるサービス場面が少ない。
日本のブライダル業界で働いている知人が、仕事中に昔の友人を見つけ、飛びつきたいほどの衝動に駆られたが、他のお客様がいたので我慢した、というのを聞いたことがある。イギリス人ならとっくにそうしていたことだろう。私は、そんな店員がいたら微笑ましく思う。友達を大事に出来る人なんだなぁーと好印象を持つと思う。パーソナルな一面を見たとき、私たちは人間味を感じる。
マニュアルは礼儀正しさは作り出せるかもしれないが、ともすると人間味を奪いかねない。礼儀正しさなら、ロボットにだって提供可能かもしれない。
一定のサービスレベルを保つのためにマニュアルは必要だが、柔軟性が失われると、残るのは無機質な礼儀正しさだけになってしまう。
自分の声で話す
多くの日本の店員は、接客にだけ使う独特の声色があるように感じる。彼らは家族や友人にはそのような声色を使わない。上司にも使わない。まさに「営業専門の声色」だ。
それは、とても不自然に聞こえる。もっと自分の声で話してくれれば、ずっと好感が持てるのにと思ってしまう。
電車の車掌さんのアナウンスはその典型すぎて、ジョークにすらなり得る。あの鼻にかかった声で普段話している人は、まさかいないだろう。
多少の営業スマイルというのは致し方ないにしても、声くらい自分の声で話してほしい。
対等な関係
客と店員が対等な関係を築くこと。これはおそらく、日本で一番難しいことだろう。従業員は「お客様は神様」と教育されてきているし、客もそのように扱われることに慣れきっているからである。
しかし、「人間味のあるサービス」は、極端に不均衡な関係からは生まれないと霧立は思う。「お客様は神様」という場合、店員は出過ぎた言動を慎むあまり、結果的に人間味あふれるサービスにはならないからだ。
人間味のあるサービスは、客と店員がお互いを一人の人間として尊敬しあい、オープンになる時に初めて生まれるのではないだろうか?
日本では、店員がせっかっく「こんにちは!」とか「またお越しください!」と言ってくれているのに、無視している客が圧倒多数だ。礼儀正しいはずの日本人、どうした?!一時帰国したときに、動揺してドギマギしてしまった。
礼儀正しいのは店員だけで、客のほうは一体…。
オナジクニノヒトタチデスカ…?!
礼儀正しい店員も、自分が客の立場の時は店員を無視しているのだろうか?そうだとしたら、この「礼儀正しさ」とは一体なんだろう?虚しさがこみ上げてくる。
これも、「極端な人間関係の不均衡」からきている現象だと思う。そんなところに「人間味のあるサービス」は生まれるはずがない。
おわりに
日本ほど接客サービスが優れている国は、おそらくないだろう。イギリスでひどいサービスに遭うたびに、「日本だったこんなことはないはずなのに…!」と未だに比べてしまう。
日本と比べている限り、日本人は世界中どこへ行っても、接客サービスに不満を持つことになるだろう。
それなのに、である。なんと、世界140か国からデータを集計した「接客サービスランキング」で日本はトップ20に引っかかってこないのである!!
1位はベルギー。ちなみにイギリスは4位!!
桃を落っことしてもそのまま売っちゃう国なのに?雨の日には紙袋にビニールかけてくれる日本はトップ20圏外ってどういうこと?!
読者もどうか落ち着いてほしい。
これは客に満足度をアンケートした結果から出されたランキングだ。当然、ほとんどは自国の人間の視点からの満足度ということだ。
じゃ、旅行者目線のランキングではどうなのよ?当然日本がナンバーワンでしょ!と思って急いで調べてみたら…。
はい、その通り。24か国を旅行した経験のある「旅行上級者」400人にアンケートをとったとこころ、日本は断トツ1位!5ポイント中、4,4という高得点を記録している。(くわしくはこちら。)
一体これは何を意味しているか?
つまり、間違いなく日本の接客サービスは素晴らしいのに、当の日本人の満足度はかなり低いということだ。高いサービスレベルに慣れきっているのである。
これは、いったい、何と言っていいのやら…。いや、実に不幸な話である。素晴らしいものを提供されているのに、それに満足していないのである。
霧立は、初めて一時帰国した時に日本のお店で感じた、ぎこちなさ、居心地の悪さを思い出した。こんなに完璧なサービスなはずなのに、なんでだろうという気持ちが残った。
人間味のないサービス。もしかしたら、これが全ての努力や礼儀正しさを台無しにしてしまっているのではないか?きっとこれは旅行者には気が付かない部分だ。
人間味のないサービスは、結局心に届かないのである。たとえロボットがどんなに完璧に接客できたとしても、客に喜びを与えるのは難しいというのは簡単に想像できる。そこには人間的な温かみが欠けているからだ。
反対に、人間味のあるサービスは多少の欠点を覆うことが出来る。それに相手(店員)を自分と同じ人間として見れるから、そもそも完璧を要求しない。
私たち日本人は、要求が高すぎる。だから満足できないという不幸に陥っているのだ。
日本の店員がもっと自然に、力を抜いて、自分の言葉で接客してくれたら、私たちはもっと寛容になれるのではないだろうか?日本人の細やかな気遣いに「人間味のある接客」が加われば、それこそ自他ともに認める「世界最高の接客サービス」になる、と霧立は思う。