あっちにフラフラこっちにフラフラのイギリス式算数
我が家の息子・ユウの通うイギリスの公立小学校では、かけ算の九九を一年以上かけてやっている。3年生(7歳)の初めからやっているのに、最後までしっかりと終わらなかったらしい。
「8と9の段は4年生になってからもう一度ちゃんとやるんだって。」
とユウが言っていた。
日本ではだいたい2年生の夏休み明けから始めて、二学期の間で終えるらしいというのに。というのも、やり方が全く違うのである。イギリスではそもそも日本の九九のように耳で覚えるのでなく、こんなふうに九九のチャート表を目で見て覚える。

そんなもん、目で見ておぼえられるかぁー!!
と思った霧立は、九九は絶対日本式のほうがいい!と思ってユウには日本式で教えた。「サンパニジュウシ」のような独特な数字の言い回しに苦労したが、3か月くらいで全部言えるようになった。
さて、3年生になって間もなく、ユウのクラスでも九九の学習が始まった。
5の段から始めたのはよい。次に2の段、4の段、そして3の段、6の段に行ったのも分かる。でも、ある時、ここでパタッと休止した。それで、いきなり面積の勉強をやりだした。

かけ算と関係があるのかと思ったが、方眼用紙のマス目を数えているだけのようなので、覚えた九九を使っているわけではなさそうだ。
それから、次はなぜかお金の数え方の勉強に移行。

その次は、なんと残りの掛け算をすっ飛ばして割り算に突入。
4÷▢=2
18÷▢=6
20÷5=▢
というようなもの。
まあ、これまで学んだ九九の段を利用して割り算を教えているんだなっていうのは分かった。
それから「ベン図」をやって…

最後、3年生が終わるギリギリのところで、いきなり九九に舞い戻ってきて一応9の段まで超特急でささーっとやったが、そこでタイムアウト。
カンカンカーン!3年生終了ー。
イギリスのほうが小学校を始める年齢が1歳早いのだが(5歳)、万事がこんな調子だから、すぐに日本の小学生に追い越される。
なぜ集中して九九を全部やってしまわないのか、全く理解が出来ない。夏休みが明けて4年生になったとき、九九を覚えている子どもが果たしてどれだけいるのだろう…。夏休み、宿題は全く出ないし。
どうやら「小学校卒業するまでに九九が全部言えたら御の字!」というような期待度らしい。大体、あの「目で見て覚えるチャート式」というのが諸悪の根源だ。数字があんなにごちゃごちゃ並んでいたら、頭の中もぐちゃぐちゃになるに決まっている。
そういえば、今日友人宅で今度6年生になる女の子と話していて、たまたま5×6を計算するシチュエーションがあったのだが、分かっていなかった様子だった。
ユウがよこで
「30だよ?30だよ?なんで?かんたんデショ!」
としきりに言っていた…。九九は日本式で教えて、本当に良かったと思った。
少なくとも算数において、循環式メソッドは非効率的だと思う。
達成感が得にくい循環式メソッド

ユウは週に1回、スイミング教室に通っている。1年かけてクロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、飛び込みなどをやってきた。
面白いのは、一つ一つの泳ぎ方を2,3回(週)しかやらないということ。2,3回では当然その泳ぎをマスター出来るようにはならない。それでもコーチはお構いなしで、次の泳ぎ方のレッスンに移る。
クロール(3週間)→背泳ぎ(2週間)→平泳ぎ(2週間)→バタフライ(1週間)
これを1年間、ぐーるぐる、ぐーるぐる循環させてちょっとずつ上達させていくというメソッドだ。
一つ一つを確実に積み上げていくことが好きな私にとって、これは見ているだけでもなんとも気持ちが悪かった。消化不良のまま次に行かなくてはならないからだ。達成感がない。
プレッシャーが少ない循環式メソッド
しかし、苦手な泳ぎを集中的に何週間もやらされるわけではないので、プレッシャーは少ないというメリットもあることに気付いた。
例えば、「平泳ぎ、なんかむずかしいなー。出来ないな~。」と思っているうちに、すぐに得意の「クロール」が回ってくる。
「よっしゃークロールキター!泳ぐの楽しい!」
となるのである。
ユウもすでに泳げるとはいえ一応、戻ってくるたびにフォームが改善されてきたりと進歩もある。
そういえば、子ども達がみんな心底楽しそうにこのクラスに毎週やってくるのは、このプレッシャーの少なさがあるからかもしれない。どの子もみんな、「自分はちゃんと泳げる!」という顔をしている。(どの泳ぎ方も全部ダメ、という子は滅多にいない。)
それにみんな、どの泳ぎ方も少しは出来るようになっている。「浅く広く」というわけだ。また、循環していくうちにだんだん上達もしていくので、自分から辞めない限り「平泳ぎは出来ない」「出来なかった」というふうには考えない。彼らは、
「毎回、ちょっとずつ上手くなってきてる!」
と考えられるのだ。コーチも親も、そのようにいつも励まし育てる。なんてポジティブな評価だろう!
イギリスの子ども達が、日本の子ども達に比べて自己評価が高と言われているのは、もしかしたらこういったゆるーい循環式メソッドも一因しているかもしれない。
もし、クロールが出来なければ次に進めないという積み上げ式メソッドだったら、クロールでつまずいて水泳を辞めてしまう子もいるかもしれない。残るのは「自分は泳げない」という評価だけになってしまう。
そして、これはスイミングだけでなく、学校の体育でもピアノのレッスンでも見られることだ。一つのことをある程度しっかり出来るようにする代わりに、浅く広くいろんなことをやらせる。そのうちに、ちょっとずつ出来るようになることを期待しているのである。
循環式メソッドだと、プレッシャーが少なく、一つの課題につまずいて辞めてしまうということが少ない。
まとめ
「昔ながらのソビエトユニオン式ドリル」(くわしくはこちら)は超一流を生みだすにはきっと必要なんだと思う。ストイックな反復練習で基礎から順番にしっかり積み上げていく。
一流になればなるほど、基礎がどれだけ正確に学習されたかが問われてくるものだ。逆に言うと、本当に基礎がしっかりしていないと、上達はある一定のレベルでストップする。自分がヴァイオリンを弾いてきた経験から感じていることだ。
ヴァイオリニスト五嶋みどりさんの母、節さんはみどりさんの初めの先生だった。すさまじいスパルタだったらしい。
大きくなったらできるだろうという気は全然なかった。みどりのちいちゃいときに私の知っていることを全部、順番を考えて入れましたね。私ができることをできないのはおかしいと。それができるまで、もうなんべんもなんべんもやる。そんなんむりなこといっているわけですけど、みどりの中に「絶対こうしないといけない」というのは入るわけですよ。(奥田昭則『母と神童』)
でも、幼い子どもでストイックなドリル式に付いてこられるのは、ごくごくわずか。それに応えられるだけの才能と情熱の持ち主だけが、乗り越えられるもの。そうでない大多数の者は、挫折を味わう結果になるかもしれない。
イギリスの「浅く広く」の循環式メソッドは、一般的にはいいのかもしれない。(算数においてはそれでも賛成できないが。)
しかし、本当に上達したいという気持ちが子どもにあるのなら、反復練習の基礎固めは欠かせないと霧立は思う。しかし、私たちの多くは「ズベレフ」や「五嶋みどり」にはなれないので、そこは能力をみながらほどほどにしないと、親子関係にヒビが入る。親子関係のほうがはるかに大事であることを絶対に忘れてはならない。