「イギリス英語」と「アメリカ英語」
「イギリス英語」とは実に様々だ。なかなか一般化するのは難しく、しばらく考え込んでしまったが、ここでは「アメリカ英語」と区別してしばしば引き合いに出されるイギリスで使われている英語を「イギリス英語」と言うことにする。
発音の違い
日本人になじみのあるのは圧倒的に「アメリカ英語」だろう。学校の英語教育が「アメリカ英語」に基づいているからだ。そのため TOEIC や TOEFLなどの国際的な英語試験のリスニングで苦労する人が多いようだ。(これらの試験には「アメリカ英語」だけでなく、イギリスや他の英語圏のアクセントも採用されている。)
かくいう霧立も、イギリスに引っ越してくるまでは「イギリス英語」が苦手だった。「イギリス英語」になるとたちまち理解度が落ちた。ハッキリ発音する「アメリカ英語」に対して、「イギリス英語」はサラサラ流れていくようで聞き取りにくかった。
今ではかなり慣れて、今度は「アメリカ英語」がやたらとねちっこく、またパワフルに聞こえるようになった。ちなみに国民性もなんとなく、発音やイントネーションに表れている気がするのは私だけか?「アメリカ英語」は元気で力強く、「イギリス英語」はどこか気取って聞こえるような気がする。
スペリングの違い
これはもっと明確な違いだろう。コンピューターの言語設定でも”English (US) “と “English (UK)”という二種類の英語が選択できるようになっている。
ほんの一例を挙げてみた。
「アメリカ英語」 | 「イギリス英語」 | |
「お母さん」 | mom | mum |
「中央」 | center | centre |
「色」 | color | colour |
「認識する」 | recognize | recognise |
発音はほとんど変わらないが、スペリングが違う。
イギリス人はアメリカ式のスペリングに非常に目ざとい。見つけると、
「あら、これはアメリカのスペリングね…」
とサラッとグサッと指摘する。
正式な論文を投稿する時なども「アメリカ式のスペリングは受け付けません」とはじめにぴしゃりと断っている。「英語はイギリスこそが本家本元」というプライドが見え隠れする。
霧立は今でもごちゃごちゃになってたまに間違えるので、不安な時はいつも辞書で確認する。アメリカ人がアメリカのスペリングを使うのはある意味当たり前だが、霧立のような英語が中途半端な外国人までが「アメリカ英語」の影響を強く受けているのを良く思わないイギリス人がいるからだ。
単語の違い
発音やスペリングの違いは、単語に違いに比べればまだ小さい。単語はご覧のとおり、全く違うものがある。これはほんの一例で、枚挙にいとまはないほどだ。(さらに知りたい人はこちら。)
「アメリカ英語」 | 「イギリス英語」 | |
絆創膏(ばんそうこう) | Band-Aid | plaster |
クッキー | cookie | biscuit |
サッカー | soccer | football |
ナス | eggplant | aubergine |
生徒 | student | pupil |
発音やスペリングと大きく違うのは、中には文脈なしではアメリカ人とイギリス人がお互いに認識できない単語もあるということだ。
例えばアメリカ人の友人に “pupil”(「生徒」)と言ったら全く通じず、「??目の瞳孔?」という反応が返ってきた。「アメリカ英語」では“pupil”は「瞳孔」という意味が一般的なのである。
同じ英語と言ってもかなり違うことに驚かされる。
表現方法の違い
「アンティーク」なバッグ
簡単に言えばアメリカ英語はより直接的で明確なのに対して、イギリス英語は間接的で回りくどい。これも国民性に関係しているように思う。アメリカ人は一般的によりハッキリものを言うが、イギリス人はハッキリ言うのは礼儀に反すると考える。
霧立の友人ビクトリアは、とても保守的で教養のある人だ。ある時、霧立の持っていた革製のバッグを見てこう言った。
その日、家に帰ってよくバッグを見てみたら、底と側面をつなぐ皮の縫い目が破れていた。おそらく、ビクトリアはこの穴を見つけたのだろう。「穴が開いているわよ。」というのはあまりに直接的で失礼と考えたと思われる…。
“Would you like to ~?” のもう一つの意味
“Would you like to ~?”とか、もっとカジュアルには“Do you want to ~?”という聞き方がある。「~したいですか?」という意味である。イギリス人は前者の“Would you like to ~?”という丁寧な聞き方をよくする。
例えば、
“Would you like to have a cup of tea?”
(「お茶を一杯いかが?」)
といった感じだ。これはわりとよく知られている表現だろう。
しかし、ある時別の意味で使われることもあることに気付いた。先生がある子どもに、
“Do you want to come here and hold up this card?”
と言ったら、その子どもはささっと前に出て先生から渡されたカードを頭上に掲げた。
つまり、先生は
「前に出て来てこのカードを持っていてください。」
とその子どもに頼んだのである。「前に出てきてこのカードを持ちたいですか?」という表現方法を取りながら、実は遠回しに「お願い」をしていたのである。
な、なんと回りくどい頼み方だ!と驚いた。“Would you~?”という頼み方があるのは知っていたが、“Would you like to~?”とか”Do you want to ~?”という頼み方があるとは知らなかった。そして今まで自分が“Would you like to ~?”と遠回しにお願いされていたのにも関わらず、「~したい?」と聞かれていると勘違いして
“No!”
(「いやだよ!」)
とつっけんどんな返事していたことがあったかもしれない…と青くなった。
頼んだ人は速攻断られてさぞかしビックリしただろう。まあ、礼儀正しいイギリス人はそのショックも笑顔の下に隠していたに違いないが…。
日本の英語教育
学習しやすいアメリカ英語
このように「英語」といっても国が違えば大分違う。霧立も引っ越し当初は「イギリス英語」への切り替えが大変だった。ましてや一から英語を勉強し始める日本の子どもたちは、どちらかに統一しないと覚える単語量が増えたり、スペリングでも混乱してしまうだろう。
また、前述したようにイギリス英語は婉曲表現が多い。例えば、「音楽のボリュームを下げてくれる?」というのを、婉曲なイギリス英語で言うと、
“Would you mind if I ask to turn down the music?”
アメリカ英語だと、
“Can you turn down the music ?”
どう考えても初心者にはアメリカ英語のほうがシンプルで勉強しやすい。日本の英語教育がアメリカ英語中心になるのもよく分かる。
「訛り」という表現に潜む価値観
ただ、アメリカ英語以外にも、世界には色々な英語があるということ知ってほしいと思う。時々「オーストラリアの英語はなまっている」と言う人がいる。ひどいときには「イギリス訛り」ということも。(「自分たちが本家本元」と思っているイギリス人が聞いたらさぞかし憤慨するだろう。)そこには「アメリカ英語が世界標準」という感覚が無意識にあるからではないだろうか?
アクセントの違いは明らかにある。しかし「訛り」という表現には、言語間の優劣という価値判断が加わっているような気がする。
言語は文化そのもの
その言語が話されている国で暮らしてみると、言語は文化そのものだということに気付く。アメリカで暮らしていた時には残念ながら気付かなかった。アメリカの英語しか知らなかったからだ。英語圏の文化はみな似たり寄ったりだと思っていた。
でもイギリスに引っ越してきて、アメリカの英語とは違う英語を学ぶ中で、「同じ英語圏でもこんなに文化が違うものか」と驚かされた。
イギリス英語の気取った発音は、伝統と格調を重んずるイギリス人らしさがにじみ出ていると感じる。
回りくどい表現は、彼らの控えめで無礼にならないような気配りのあらわれ。
私がイギリス英語に切り替えるのに苦労した(している?)のは、単語や発音というよりも、こういった言語文化の側面だ。というのは、霧立は元来ぶっきらぼうで、知りたがり屋だからだ。
これは単に“Would you mind if…..?” なんて、まどろっこしくてやってらんない!ということでもない。(それも確かにまどろっこしいのだが、)むしろ言語化にすらしない部分での控えめさ、距離感の取り方に気を遣うのである。霧立は昔から何でもすぐ質問してしまう。気心知れた友達なら平気だが、そうでない場合はあまりハッキリものを言ったり、ズケズケ質問するとビックリされてしまうのだ。アメリカでは問題にならなかったことだ。
このように言語は文化そのもの。だからこそ、「訛り」という価値判断を含む表現には抵抗がある。また日本の英語教育の場面でも、単にツールとしての言語を教えるのでなく、その根底にある文化の部分まで触れられると本当の意味での「外国語教育」になるのでは?と思った。
それから英語の先生には、ぜひ色々な英語圏の英語にも目を向けてほしいと思った。将来ユウが英語のテストで、“learn”の過去形を“learnt”と書いて✖をもらわないためにも…。