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ある朝の出来事
先日、バス停でバスを待っていた。
朝の通勤時間帯で、すでにたくさんの人が溜まっていた。みんな、一様にバスが来る方向に目をやっている。私も腕時計に目を落とす。
(5分…。)
バスが遅れているのだ。イギリスではよくある日常の風景。イギリス人はとても辛抱強い。バスが5分、10分遅れても誰も文句を言わないで、黙ってじっと待っている。
しかし、この朝は違った。
「ったく、これじゃ仕事に遅れるじゃねーか!!どーなってんだ!?」
誰に言うという風でもなく、しかし大きな声で文句を言いだした男性。
バス停の中をイライラした様子で歩き回りながら、文句は続いた。
「このバス会社は時間を全く守らない!こんなんじゃ仕事に遅れる!!!」
チラリと見るとテスコ(イギリス最大手のスーパーマーケット)の制服を着ている。どうやらテスコの従業員らしい。職場の制服のまま通勤する人も日本では珍しいが、もっと驚くのはテスコの看板をぶら下げて歩いているようなものなのに、恥も外聞のなく醜態をさらしまくっていることである。
「みなさんは制服を着て歩いているのですから、いつでも我が校の看板を背負っているということを忘れずに。」
中学高校の時、いつも先生から言われていたことを思い出した(←いわゆる「お嬢さん学校」)。
(この人、テスコの店員がこんなに品がないと思われてもいいのかな…)
と余計な心配をしていたら、なんとこのテスコマン、今度は関係ない行き交う車に向かって怒鳴っているではないか!
「*&^$#@!^&_+*!(聞き取り不能)。まったく!!この国はカーシェアリングもすすんどらんっ!!!」
カーシェアリング(乗り合い)が進んでないから、車の交通量が増えてバスが遅れている!とでも言いたいのだろうか。それとも自分も乗せてもらいたかったのだろうか…。
テスコマンは私の隣に来て、まだブツブツ文句を言っている。ちょっとドギマギする霧立。
「もう8分も遅れてる。どうしてこうなんだよっ!!信じられるかいよっ?!」
このテスコマン、時々他の人の同意を得ようをしているかのように話す。しかも今度は霧立の顔を見て言っているではないか。
(エエッー?私に言っているの?!)
とビビりながらも、
「まあ、朝の一番混んでいる時間帯ですからね~」
となだめるように言ってみた。
本当は、
「もう一本前のバスに乗るようにした方がいいんじゃないですか?」
と言いたかったけれど、そこはさすがに言う勇気がなかった。
私の同意を取り付けるのに失敗したテスコマンは、今度は他の人にもブツブツ文句を吐いて絡んでいる。私は他の人たちと、この困ったテスコマンにあきれ顔で、互いに目くばせをする。
と、その時、向こうの方からバスがやってくるのが見えた。みんなもう、やれやれという表情だ。
バスが停まり、先に待っていた人から順に、次々にみんなバスに乗り込む。イギリスではみんなよく順番を守る。そして次の瞬間、なんと驚くべきことが起こったのである。
この醜悪をさらしまくっていたテスコマン、私と初老のご婦人に
「After you! (どうぞお先に!)」
とさっと手を出して順番を譲ったのである!!
あれだけ急いでいたテスコマン。
行き交う車にも怒鳴り散らしていたテスコマン。
私たちより先に待っていたというのに…!!
唖然としながら、「あ…ありがとうございます。」とお礼を言って私はバスに乗り込んだ。先ほどまでの手に負えない醜態ぶりとこの紳士的な態度が、どうやって同一人物の中で整合性が付くのか、全く私の理解の範疇を超えていた。
しかし、
「腐ってもイギリス人男性は紳士なのだ。」
と後になって結論付けざるを得なかった。これまでも男性に順番を譲られることはよくあった。そうなのである、イギリスでは女性に順番を譲るのは男性の礼儀なのだ。あんな粗暴なテスコマンですら、そうなのだ。まるで、
「女性に順番を譲らざる者、男ならず!」
とでも考えているかのようだ。イギリス紳士の最低条件が、多分、女性に順番を譲ることなのだ!この文化、一体何なんだろう?!先を争って電車に乗り込み、ぶつかったおじさんに舌打ちされることも珍しくない東京のサバイバルからは、ちょっと想像できない世界である。そんなわけで、少し歴史の紐を解いてみることにした。
イギリス紳士・ジェントルマンの歴史
14世紀~15世紀
簡単に言うと、ジェントルマンというのは「不労所得で楽して生活していた人たち」のことらしい。ジェントルマンの前身は中世の騎士団と言われている。
中世末期、火砲が発明されたことで戦術が変わり、騎士団は「引退」を余儀なくされた。その時の「退職金」で彼らは地方に広大な土地を得て、その土地を農民に貸し与え、地代で富を増していったようだ。この地方の大地主が「ジェントリ」というわけだ。
「ジェントリ」=引退騎士団
16世紀~18世紀
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大地主であるジェントリは正確には貴族階級ではなかったが、経済発展に伴い影響力を増し、支配力を持つようになっていた。この頃から「ジェントルマン」(gentle+man=優しく親切で、高貴な男性)という名称が、ジェントリと貴族からなる、実質的なイギリスの支配階級を指すようになっていった。
「ジェントルマン」=ジェントリ+貴族
彼らはその広大な土地から不労所得を得ていたという特徴を持っている。働かなくても裕福な暮らしぶりをしている人を今でも「あんた、貴族みたいだね!」と揶揄するのは、実はここから来ているわけだ!でもこの時代は、不労所得は「上流階級」(ジェントルマン)の証しで名誉とされていた。
彼らは働く代わりに、芸術や学問、奉仕活動に励んでいた。中世の騎士団のモラルが脈々と引き継がれていたわけだ。
「ジェントルマン」≠ ただのお金持ち
「ジェントルマン」=不労所得者、支配層、教養があり、礼儀正しく、社会に仕え、社会的弱者を助ける人たち
18世紀~20世紀
それまでの層に加えて、医師、弁護士、政治家、植民地の農場経営者も「ジェントルマン」に仲間入りする。またオックスフォード、ケンブリッジ大学出身者なども加えられる。つまり初期の「不労所得者」という条件はこのあたりで外れてくることになる。この時、「ジェントルマン」と認知されていたのは人口のたった5%程度だった。
「ジェントルマン」=資産家、支配層、礼儀正しく教養に富み、社会貢献している人たち
現代
貴族の衰退と没落と共に、「ジェントルマン」と認知されている特定の階層はもはやいない。しかし、イギリス特有の保守的・閉鎖的な文化ゆえにだろうか、ジェントルマンの資質の片りんが、今でもかすかに息づいていることを、日常のあちこちで感じる。
実際は人口の5%しか占めなかった特権階級の家庭でなくとも、人々の尊敬を集めていたジェントルマンの資質は見習うべき模範として広く浸透していったのではないだろうか?
ドアを次の人のために押さえて待っている、というのは男性女性を問わず、イギリスではごく当たり前の風景だ。また特に男性が女性に優しいのがイギリス特有だと思う。
20年程前にアメリカで暮らしたことがあったが、その頃アメリカはフェミニズム旋風が巻き起こっていて、下手をするとレディーファーストでさえ「性差別」とやり玉に挙げられる雰囲気があった。私がいたのが大学で、また西海外のリベラルな州にいたということもあるが、男性はどうしていいものやら神経質になっている感じがした。親切にするのもなかなか難しいものだな、と思ったものだ。
思いやりのある豊かな社会にするために
ここでは詳しく述べないが、霧立は性差別には反対だ。でも、男性と女性が同じことをするのが平等とも考えていない。そもそも、男性と女性は違うからだ。男性が重い荷物を持ってくれると大変有難い。
男性から順番を譲られたり、電車やバスの席を譲ってもらうのは、そうする必要はないと思うが、やはり嬉しいものだ。単純に女性としてリスペクトされていると思えるからだ。
私もお年寄り、障害を持っている人、小さな子どもを連れている人に順番や席を譲るようにしている。おかしなことに、こうした小さな自分の権利を犠牲にした時に、逆に余裕が心に生まれる。
心に余裕がないと、人に親切にすることは難しい。
でも、人に親切にすることで心に余裕が生まれることもあるのだ。
そうすることで、自分の尊厳を取り戻しているのかもしれない。
多くのイギリス人男性が今でも「プチ・ジェントルマン」なのは、そういうことともしかしたら関係しているのかもしれない、と思った。
弱い立場の人に何かを譲ることで、強くて優しい男性としての尊厳を保っている。
あのテスコマンも、あれだけの醜態さらしていたけれど、イギリス紳士のとしての尊厳のかけらは残っていたということかな…とちょっと思い出した。仕事に遅れそうで余裕がなくなって悪態ついちゃったけれど、バス停で女性に順番を譲ることで実は落ち着きと余裕を取り戻していたりして…!と思ったらなんだか愉快になった。
心に余裕がない時こそ、自分の小さな権利を他の人のために手放す。こんな逆説的な余裕の取り戻し方をあの朝、テスコマンを通して考えた。