先日、イギリスでは小学生のほとんどが保護者と登下校するという記事を書いた。このように、一見イギリス人はかなり過保護のようにも見えるのだが、実情はもっと複雑だ。
というのも、過保護かと思いきや、子どもと大人を完全に切り離すドライさもあり、それでもって躾に厳しい。
今日は、イギリス人のこの複雑な子どもとの距離感の取り方を書いてみたい。
過保護なイギリス社会
ヨーロッパでは昔から子どもは「小さな大人」と考えられていた。イギリスでも子どもは小さな頃から働かされていたし、特に産業革命期に入ると子どもは10歳頃から働かされ、その労働環境が社会問題になったほどだ。
しかし、20世紀に入って「子どもは小さな大人ではない!」ということに気付き(これは現代人にはビックリだが)、子どもを大人と違った存在として扱うようになっていたった。
子どもは「王様」?
現代のイギリスは、子どもにとても優しい社会だ。子どもは病院での治療も処方薬も無料、歯の治療もしかり。ミュージアムは雨の日の「子どもの遊び場」と化しているし、レストランに行けばテーブルで待っている間に退屈しないように、迷路や塗り絵の入ったアクティビティー・ブックとカラーペンがもらえる。図書館の本を返却期限に返さなくても子どもは全くお咎めなし。
かつては半分奴隷のように扱われていた子どもたち。現代では「子どもは、王様か?」と思うくらいの高待遇ぶりである。
“Safety First!”
「安全第一!」イギリスでよく耳にする言葉である。子どもの安全にとにかく気をつかう。
- ほとんどの小学生は保護者と一緒に登下校
- 花火は18歳未満は買えない
- 一般的に12歳未満の子どもに留守番はさせない
子どものためにお金を使うことを惜しまない
これはイギリス社会だけではないことかもしれないが、イギリス人は子供にモノを与えすぎる。友人宅へ行くと、子どもの持っているおもちゃの量に驚かされる。文字通りおもちゃが「山のように」なっているのである。
また、習い事も相当やっている。我が家のユウも3つ(ピアノ、テニス、スイミング)やっているので人のことは言えないが、3つくらいはごく普通である。
誕生日パーティーは会場を借りて盛大にやる。会場を借りて、お返しのプレゼントを招待客分用意して、ケータリングを頼んで…となると大体3万円以上かかる。それでも、ほとんどの子どもがそのようなパーティーを開いてもらう。
子どもにドライなイギリス人の親
イギリス人の親が子供に過保護なのは、どうやら「昼間限定」らしい。イギリス人にとって夜は「大人の時間」だ。「子どもは大人と違った存在」という前提があるので、夜になると子どもはまるで存在していないかのように扱われる。
夜7時半に寝かされる!
イギリス人の子どもは、恐ろしく早く寝かされる。小学生3年生(日本の2年生)くらいまでは7時半に寝かされるのがごく標準なのだ!
7時半って…
日本じゃ、これから夕ご飯ですって家とかありそうな時間じゃないの?!
と初めはビックリしたものだ。ある友人は、5時半頃に子どもたちだけに夕食を食べさせる。そして、大人は子どもを寝かせた後にゆっくり食べるのだという。(しかも大人用の別べニュー!)
日本では、遅く帰宅する父親が一人で夕食をとることはあっても、子どもだけ先に食べるとは聞いたことがなかった。
また、赤ちゃんの頃から一人で自分の部屋で寝かされる。日本のように「川の字」になって家族みんなで寝るようなことは、聞いたことがない。
夫婦だけで結婚記念日を祝う
イギリスでは、結婚記念日は子どもは完全に蚊帳の外だ。結婚記念日の夜には、夫婦は特別なレストランを予約して、子どもはベビーシッターに預けて出かける。大きな節目の結婚記念日には、夫婦だけで旅行に行くことも珍しくない。子どもは、祖父母の家に預けられる。
日本にいた時は、「そんなの子どもがかわいそうなんじゃない?」と感じたが、今では霧立の中でもそれがスタンダードになっている。慣れとは不思議なものだ。
大人のパーティーは子どもが寝た後
大人同士の付き合いも、子どもは蚊帳の外。子どもを寝かせた後に、大人は大人の付き合いに繰り出す(だから7時半に寝かせるのかもしれない)。夫婦のどちらかが残っていることもあるし、ベビーシッターを頼む時もある。
日本だと、居酒屋に子ども連れで飲み会に行ったりすると聞く。居酒屋でなくても、酔っぱらった大人の周りを子ども同士が遊んでいるというのは、いかにも日本的な風景だ。
しかし、イギリスでは大人同士の飲み会に子どもが来るなどということは聞いたことがない。また、「夜は子どもお出入り禁止」のパブもある。
「子ども時代」の喪失
このように、昼間は子ども中心の過保護な親も、夜になるとドライな親に豹変するのである。それを図にするとこんな感じだ。
昼間は子どもの生活に親はぴったりと付き添う。しかし、夜の「大人の社会」に子どもはシャットアウトされる。
子どもの距離感の取り方がシチュエーションによってかなり変化するのがイギリスの子育てだ。
ちなみに日本は図にすると、こんな感じだろうか?
日本では、子どもが小さいうちは家族でお風呂に入ったり、「川の字」になって寝たり、親の結婚記念日を子どもと一緒に祝ったり…と子どもが大人と一緒に行動することが多い社会だ。また、日本の子どもは遅くまで起きているので、夜に親と過ごす時間がイギリスの子どもより多い。
どちらにも一長一短がある。しかし、日本とイギリスに共通しているのは、「子どもだけの自由な時間とスペース」が少ないということだ。
イギリスの子どもは、下校まで親と一緒なので、友達とおしゃべりしながら一緒に帰ってくることもない。だから放課後に友達の家に行って遊ぶという流れになりにくい。親同士が電話でアレンジしないと、子ども同士が遊べない時代になった。しかも習い事が多いので、子どもたちは放課後も忙しい。
日本は、登下校は子どもだけだが、こちらもやはり習い事が忙しかったり、共働き家庭の場合は学童に行く。学童は所詮、大人の監督のもとにある遊び場だ。場所も時間も遊び相手もかなり限定されてくる。
しかし、子どもだけで遊ぶ時間やスペースはとても大事だ。「子ども時代」は、そこにこそある。気の合う友達と、好きなこと場所に行き、好きなことをする。大人の見ていないところで、秘密を作ったり冒険する。
自分の幸せな子ども時代を思い返してみて欲しい。そこに果たしてどれだけの大人がいただろうか?
私の場合、スライドのように頭に浮かんでくる楽しかった子ども時代の思い出の中に、大人はほとんど出てこない。友達と森に探検に行ったこと、秘密基地を作ったこと、庭で子どもだけでキャンプをしたこと、肝試しをしたこと、木の上でおやつを食べたこと…。ほとんどが「学校外」での自由な時間の思い出だ。
住んでいる場所も時代も違うから、なかなかそういう自由を与えるのが難しいかもしれない。安全の問題もある。
しかし、イギリスでも日本でも、親が過保護になれば子どもは冒険する機会を失う。子どもにたくさん習い事をさせて忙しくしていれば、子どもは、「子どもだけの自由な時間」を失う。たくさんモノを買い与えられていたら、子どもは自由に遊びを創造する心を失う。
「今の子どもは昔の子どもに比べて恵まれている」という人がいるが、本当にそうだろうか…?「子ども時代」を喪失した現代の子どものことを、私は時々ひどく気の毒に思う。