イギリスの中学生と対決して考えた、「良心」の問題
第一ラウンド とんでもない子どもたち
数週間前、ひどい体験をした。
いつものように、ユウとテニスの練習をしようと近くの公園に行った時のことだ。先に中学生の男女二人と、小学生低学年の男女が二人が遊んでいた。
テニスをするスペースで始めようとすると、中学生の女の子が「すいません。そこでテニスをしないでもらえますか?」と言ってきた。別に彼らの邪魔になる場所でテニスをしているわけではない。霧立は、「なぜ?公園はみんなのものだよ」と言ってテニスを始めた。
そうしたらまたすぐに先ほどの女の子が近寄ってきて、「ここでテニスをしないでもらいたいんですけど」と言ってきた。しつこい。
「私たちはここでテニスする権利あるわよ。ここはあなたのうちの庭じゃないの。なんでそんなこと言うの?」と今度はちょっと強い調子で言った。そうしたら、「私たちがやっていること見られたくないんです。」と彼女。
そいえば、さっきから大きな金属の塊をコンクリートに投げつけて遊んでいた。直径30センチほどもある大きな金属なので、コンクリートに落とすとガッシャーンとかなり大きな音がする。
「そんなに見られたくないなら、自分のうちの庭でやったら?ここは公園なの。それにそんなもの投げてたら危ないわよ」と言ってテニスを続けた。
そうしたら、今度はその女の子、わざわざテニスをやっている私たちに近づいてきて私たちの方にその金属の塊を投げつけてきた。ユウと私の間に大きな金属の塊が落ちた。
「危ないでしょ!!何するの?!」
ユウの身の危険を感じて、本気で怒った。そして「当たったら、ケガするでしょ?信じられない。あっちに行きなさい!!」と子どもたちを追い払った。彼らはゲラゲラ笑ってその場を立ち去った。ユウは恐怖で青ざめている。
「大丈夫だよ。あの子たち、もう行っちゃったから。テニス、続けようよ」と励ました。
第二ラウンド 戻ってきた子どもたち
しかし数分後。さっきの子どもたちが戻ってきた。例の中学生の女の子が近づいてきた。
霧立「何よ?」
少女「あの、ごめんなさい」
たった数分前に人を馬鹿にしたように笑って立ち去った子どもが、そんなすぐに改心するのか?鵜呑みにするわけにはいかない。
霧立「ごめんなさいって、なにが『ごめんなさい』なの?」
少女「さっき、危ないものをあなた達の方に投げちゃったこと。もうしません。」
霧立「ふーん…。まあいいわよ。分かったなら。」
半信半疑だったけど、一応そう言った。そうしたら、
少女「あなたとテニスがしたいんですけど。」
霧立「??ラケット二つしかないんだけど。」
でも、あきらめない少女。怪しいと思いながらも、これまで「子どもを信じること」を信条にしてきたので、ユウに無理に頼んで彼のラケットを貸してあげた。そうしたら、彼女は「この子がやりたいって言っています」といって、5歳くらいの男の子にラケットを渡した。
ちょっと変だった。あれだけ「テニスがしたい」と言っていたからラケットを貸してあげたのに。
男の子はテニスをし始めて2分もたたないうちに「もう、いいです。」と言って慌ててラケットを置いて他の三人と一緒にどこかへ走っていた。
「おかあさん、あの子たち、お母さんのラケットバッグ取っていちゃったよ!」
青い顔をして、ユウが教えてくれた。
ぬぁーにー?!
「待ちなさいっ!!」
と走って追いかけたら、途中で堪忍してラケットバッグを放り捨てた。霧立の俊足を舐めてもらっては困る。
霧立「なんでこんなことしたの!?」
少女「ごめんなさーい」
霧立「そんな言葉聞きたくない。『なんで』って聞いているの!理由を説明しなさい。その責任があるわよ。あなたの両親と話す必要がある。どこに住んでいるの?」
横から中学生の男の子が口を挟んだ。
少年「ぼくたち、ここには住んでないよ。バスで来たんだよ。8番のバス。」
ちなみにこの少年は、さっきから私に向かって人種差別的発言やとてもここでは書けないような暴言を繰り返していた。かかずりあっていられないので、無視していたが。
少女はニヤニヤ笑っている。
「私はね、さっきあなたが謝ったから信じたんだよ?それなのに、どうしてこんなことするの?どうしてそんなに酷いの?…あなたが気の毒なくらいよ。そんな風に平気で嘘ばっかりついてたら、あなたの人生みじめになるよ。誰もあなたを信じなくなる。」
しっかり彼女の目を見て言った。
「もう私に話すのを止めてください。」
周りにいた小さな子どもたちもやりとりを聞いて笑ってる。
「あなたはね、『ひどい態度をとっていいんだ』『嘘ついていいんだ』って、この小さなあなたの兄弟に教えているのよ?それが分かってるの?」
と言ったが、
「もう私に話すのを止めて」
と言って、彼女たちは立ち去った。
私は怒りと落胆とで身も心もワナワナと震えていた。「テニスがしたい」と言ってきたのは、私の注意をそらせてテニスバッグを盗むための工作だった。こんなひどい子どもたちに、お目にかかったことがなかった。
第三ラウンド 子どもたちの家を見つけ出す
それから十日ほどたったある日。例の女の子がこの間一緒にいた小さな子どもたちと一緒に、霧立の家の前を歩いているではないか!
「あなた、ここに住んでないって話だったけど?」と声をかけた。「住んでませんけど」とまだしらを切っている。「あなたのご両親に話がある」と言ったら、なんと一緒にいた6歳くらいの女の子(先日とは別の子)が、「あなた、うちのママと話したいの?じゃ、連れてってあげるわよ。うちはこっちよ」と、道案内を申し出てくれた。
「ここに住んでない」と嘘をついていた少女は、立ち尽くしている。「行くよ、ユウ!」と言って、道案内の女の子に付いていった。気の弱いユウは「ぼく、いやだな、行きたくないな…」と言っていたが手をひっつかんで連れて行った。
彼女たちの家は、我が家から歩いて5分くらいの場所にあった。最も経済的に貧しい荒んだ雰囲気のエリアだった。
「ここだよ。ママたち中にいるからね。私はお姉ちゃん連れてくるね。」
と言って女の子は立ち去った。
少し緊張しながらドアを叩いた。5回くら叩いてやっと親が出てきた。事情を説明したら、驚きながらもこちらの話を理解し、自分の子どもたちの悪態を詫びた。ほっとした。
そこに例の少女が妹に連れられて戻ってきた。母親はカンカンである。そうしたら、彼女「私、この間そんなこと言ってない」と自分が言ったことを否定しだした。母親は、
「よくもそんなことが言えるわね!!この人(霧立)が嘘つくわけないでしょ!あんたが言ったに決まっているわよ!今すぐ、謝りなさい!!」
と激怒。すると少女は下を向きながら「ごめんなさい」とポツリと言った。私は彼女の「ごめんなさい」には懲りていたので、
「じゃあ聞くけど、あなたこの間自分が言った発言を認めてるってこと?そうじゃないなら、私はあなたの謝罪を受け取らないわよ。」
と言った。そしたら案の定、「でも、私言ってないもん」とまだ否定する。母親は掴みかかるように少女に迫り、「何言ってるの!あんたが言ったに決まってるでしょ!謝りなさい!!」と怒鳴った。
「謝罪は強要できませんよ」と言いたかったけれど、すごい剣幕だったから霧立は黙っていた。少女は泣きそうになっていた。そして母親に怒られるからだろう、うつむきながらまた「ごめんなさい」と言った。
「もし、本当にそう思ってないなら、ごめんなさいなんて言うべきじゃないのよ。もう一回聞くけど、あの日私に失礼なこと言ったこと認めるのね?」と私が念を押すと「そうです」とやっと認めた。
そのあと、親と少し話して私たちはその場を後にした。大修羅場だった。
良心を守り育てるには
嘘は心に壁を作る
勇気が要ったけれど、親に会って話せてとても良かった。私がいくら怒ってもヘラヘラしていた彼女が、親にとっちめられて小さくなっていたのも、かなり良かった。
人と対立するのを避けて、いつも強い子になんでも譲ってしまうユウにもいい経験だった。「どんな相手にでも言わなきゃいけないことは言う」「自分の権利をちゃんと主張する」ことはとても大切なことだ。霧立はこれをアメリカで身につけた。
でも、私の心は完全には晴れなかった。あの子はどうしてあんなにいとも簡単に嘘をつけるんだろう?どうしたら子どもはあんなに酷くなるんだろう?という疑問がわだかまりとして私の心に残っていた。
彼女の「ごめんなさい」という謝罪は、結局真心から出てきたものではなかった。空虚なことば。
私の真剣な言葉も、彼女の心には届かなかった。
人間、誰にでも良心というものがあるはず。しかし、嘘をつくたびに、心の壁が厚くなっていく。嘘をつくたびに、その人良心は鈍感になっていく。そしていつしか、嘘をつくのは朝飯前になる。あの少女のように。
少女の母親は、少女の言い訳を聞くわけでもなく、彼女が嘘をついていると決めてかかっていた。見知らぬ私の言い分を信じて。もちろん彼女は嘘をついていたのだが、自分の母親に全く信頼されていないというのも、かなり悲しいことだ。
嘘つきの娘だから親は信用しないのか、親が信頼しようとしないから娘が嘘つきになるのか。分からない。鶏が先か卵が先か、という話だ。
追い詰めないこと
嘘をつかない子どもはいない。レベルの差はあるにせよ、人間は誰だって嘘をついている。嘘とは言えないかもしれないが、ユウも私の目を盗んで好物のミニトマトをキッチンからくすねたりすることがある。
そういう時、私は見てないふりをすることもあるし、「ちゃんとお母さんに言って。ちゃんとあげるから」と言うこともある。人間は厳しすぎたり追い詰められすぎると、嘘をつくからだ。嘘は、自分を守る手段でもあるのだ。嘘をつく状況を出来るだけ回避させるのも、知恵かもしれない。
親も嘘をつかない
当たり前だが、子どもは親を見て育つ。親が嘘ばかりついていたら、確実に子どもは嘘つきになるだろう。
何か自分が失敗したとき、それを隠したり自分を守るために嘘をつくのではなく、「お母さん、〇〇しようとしたんだけど、こういう理由で出来なかったんだよ。ごめんね」と正直に話す。
それが家族の中でスタンダードになれば、子どもも心を開き、自分の弱さを正直に話せるようになる。そして、その時に決して叱らないことが大事だ。叱ってしまったら、子どもは正直に弱さや失敗を話せなくなってしまう。
子どもを信じる
それでも子どもが嘘をつくことは、あるかもしれない。うちも、(本当かな…?)と疑うような状況がごくたまにだがある。
「それ本当なの?」と聞くと「うん」とユウ。「ユウ、お母さんの目を見て。本当にそうなの?」ともう一度だけ聞く。それで「うん」と言ったときは、「じゃあ、お母さん、ユウのこと信じるよ」と子どもを信用することにしている。
それはこういう理由からだ。
① 本当だった場合→当然信頼してよかったということになる。
② 本当なのに親が信じなかった場合→子どもが深く傷付くことになる。親を信頼しなくなる。
③ 子どもが嘘をついていた場合→後で分かったときに、別の対処ができる。
この中で一番避けたいのは②だ。親が子どもを信じることは、子どもの親への信頼を勝ち取り、結果として子どもの良心を育てることにつながる。
まとめ
このように子どもの良心を守り育てるのは、実にナイーブな方法による。良心はご褒美や力ずくで育てられるものではない。良心は、ひたすら尊敬と信頼によって守り育てられる。
しかし、良心は健全に育てば自分を守る堅固な砦ともなる。嘘をつくことだけでなく、あらゆる誘惑を払いのける盾となる。
霧立は、自分の子どもには嘘によってではなく、高潔な良心によって自分を守る人間になって欲しい。そのために親に課せられた課題のなんと重いことか。まずは、自分がそういう人間になることが先決だ。
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