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クレモナは、人口7万人ほどの小さな町。しかし、その名前はあまねく全世界に響き渡っている。
それは、あの伝説的なヴァイオリン製作者、ストラディバリウスやグァルネリが工房を構え、数々の名器を生み出した場所だからである。
あれから300年以上の歳月が流れた。クレモナでは今もなお、多くのヴァイオリン工房が軒を連ねているという。
新しく製作されたクレモナのヴァイオリンは、一体どんなものなのだろうか?
新作クレモナのヴァイオリンは今でもやっぱりすごいのか?
クレモナのヴァイオリン工房
わたくし霧立灯は、ロンドンで新作、旧作を引き比べ、それぞれのいいところを経験した(くわしくはこちら)。でも試したのは、たったの4本。
ベストな新作を試してみたいと思った。ベストな新作なら、実験によればストラドよりすごかったわけだ!
では、どこへ行けば「ベストな新作」が手に入るだろう?真っ先に思いついたのが「クレモナ」。(というか、それ以外思いつかなかっただけだが…。)
「ヴァイオリンの聖地、クレモナに行けば、ストラドを負かしたほどの新作が手に入るかもしれない!!」
と思うと、気持ちは高ぶった。
奇しくもイタリアでヴァイオリン制作をしている日本人と知り合い、彼女から「技術的にも人間的にも尊敬できるクレモナのヴァイオリン製作者」を数名教えてもらうことが出来た。
日本のマーケットに出ているイタリアの新作は150~300万円くらいだが、製作者から直接買えばかなり割安になる。彼女によれば、私の予算であればクレモナの巨匠クラスの楽器が手に入るとのこと。
「クレモナの巨匠クラス」…!
なんて魅惑的な言葉だろう!霧立、これにはかなり舞い上がった。そして早速、彼女が教えてくれた数人の巨匠と連絡を取り、半年後に工房を訪れることにした。泊まる場所も予約した。
現代のクレモナヴァイオリンの評価
しかし、それまでの間もイギリス国内でヴァイオリン選びは平行して行っていた。まだ新作を買うと決めたわけではなかったし、出来るだけたくさんの楽器を弾くことによって、耳も、値段の感覚も養われていくからだ。
プロのヴァイオリニスト&ディーラーの評価
そこでまずは地元の個人経営のヴァイオリンショップに行ってみた。そこの店主、ティムはBBC交響楽団で弾いているプロの演奏家。楽器の知識も相当だが、演奏家としての視点も併せ持っているので、色々なことが相談できる。とてもフレンドリーなイングリッシュ・ガイだ。
クレモナの新作楽器も購入の選択肢に入っていることを話し、彼の評価を聞いてみた。
「新作楽器は確かにどんどん注目されてきていますね。物によっては、古い楽器よりずっと優れている場合もある。プロ奏者でも、新作を弾いている人もいるくらい。でもクレモナの新作は、正直言って大したことがないというのが僕の印象です。クレモナがいいっていうのは、300年前の話。新作のいい製作者は世界中に散らばっていますよ。特定の地域は関係ないです。」
と、かなり辛口評価。
「そ…そうですかぁ…。」
「クレモナに行けばストラドを負かした楽器を手に入れられる!」と息巻いていた霧立は、これにはかなり冷や水を浴びせられた。
でも確かにストラディバリウスやグァルネリの生きた時代は、遠い昔日。クレモナ黄金時代が300年以上続いているほうがおかしいと言えばおかしい。
この間、一時帰国の時に初めて築地の魚市場に行ったが、そこで食べたお寿司が期待していたほど美味しいとは思わなかったことを思い出した。築地でなくとも美味しい寿司屋は日本のあちこちにある。いや、最近では海外でもびっくりするくらい美味しいお寿司が食べられる時代になっている。「江戸前寿司」の栄光がもはや過去のものであるように、クレモナの威光もすでに輝きを失ってしまったのだろうか…。
日本のヴァイオリン製作者の評価
霧立が都内の某オケにいた時、一緒に弾いていた仲間でヴァイオリン制作をしている岡田さんという人がいた。弓の毛替えや楽器の調整をしてもらったことがあるが、人間的にも技術的にもとても信頼できる人だ。その彼に久しぶりに連絡をとって、あれこれ相談に乗ってもらった。
新作のクレモナについて聞いてみたら、こちらもティムと同様の意見。
「お客さんの中で新作のクレモナの楽器を持ってきた人が何人がいたけれど、正直いいと思ったものはなかったです。とてもお客さんには言えませんでしたが…。日本人は『イタリア(クレモナ)信仰』が強すぎると思います。これまではイタリアの楽器が過大評価されすぎてきたから、これからは他の国の楽器の方が評価が上がってくるポテンシャルがあると思います。」
実際に複数の新作クレモナの楽器を手に取って、プロの製作者として見て、弾いたことのある岡田さんのこの感想は、説得力があった。
イギリスの楽器店のディーラーの視点から
この二人の意見を聞いて、新作クレモナに対する過度な思い込みをほとんど修正した霧立だったが、自分でも調べて確かめたかった。
「イタリア/クレモナ」と騒いでいるのは、本当に日本人だけなのか?
そこで私は、ネットでイギリスの楽器店と日本の楽器店の楽器を比較してみた。そうすると興味深い事実が明らかになってきた。
日本の楽器店のほうが、ずっと多くの割合でイタリア楽器を仕入れているのである。中には「イタリアの楽器しか扱っていません!」と高らかに宣伝しているお店も。また、新作クレモナも日本のほうがはるかに多かった。イギリスで新作クレモナはほとんど目にした記憶がない…。地理的にはずっと近いというのに。
日本のディーラーを批判しているのではない。ビジネスにおいて需要に応えることは最重要だ。イタリアやクレモナのヴァイオリンが根強い人気を誇る日本では、イタリアやクレモナのヴァイオリンは外せないのだ。
ただ、イタリア/クレモナというブランド物のヴァイオリンではなく、本当に性能のよい楽器を手に入れたいなら、そこはシビアにいかないとダメだ。
また、私はティムのお店で古いヴァイオリンをいくつか借りてきて試していくうちに、古いヴァイオリンの持つ独特の風格、音の落ち着き、柔らかさにすっかり惚れ込んでしまった。
新しいヴァイオリンは、音が落ち着くまでに少なくとも数年から10年はかかる。20代だったらまだしも、私はもうアラフォー。ヴァイオリンを成長させている時間はない。私が楽器に成長させてもらいたいのだ。
すでに音が出来上がっている、成熟したヴァイオリンが欲しくなった。
そんなわけで、あれだけ盛り上がっていたクレモナ行きは、キャンセルとなった。
【追記】(07/29/2019)
霧立のブログの読者で、クレモナで新作のヴァイオリンを購入した方がいる。「クレモナの価値は日本人によって台無しにされているような気がする」。彼はこのような趣旨のことを言っていた。つまり、中には優れたクレモナの新作もあるのに、ありきたりの楽器が「クレモナ」の名だけで高値で売買される結果、目利きには「新作クレモナは実力ナシ」の烙印を押されてしまっているという現状があるのかもしれない。