最近のイギリスの教育は、学校でも家庭でも体罰厳禁。暴れている子どもにすら手をかけられないので、学校の教育現場は行き詰まっているように感じる。
しかし、かつてのイギリスでは毎日鞭が子どもに振るわれていた。学校で鞭の使用が完全に禁止になったのは、なんと2000年のことである!
今日は、
- イギリスの学校現場で鞭が使われてきた様子
- 体罰の効果の検証
- なぜイギリスでは体罰が容認されてきたのか?
といったことについて考えてみたい。
鞭を振るっていたイギリスの学校の残忍な過去
鞭が禁止になるまで
イギリスの教育現場で鞭が禁止になったきっかけは、自国内での世論の動きからではなかった。1970年代に二人の母親が、子どもの権利をヨーロッパの司法に訴え、8年の歳月をかけて裁判で勝訴したことがきかっけだった(そのお母さんたちは本当にスゴイ!)。
その結果、世論に変化が出てきて鞭による体罰は減少し、法律で禁止されるようになった。
- 1987年 イギリス国内の公立学校で禁止
- 1998年 イングランドの私立学校で禁止
- 2000年 スコットランドの私立学校で禁止
私立学校で鞭の禁止が遅れたのは、伝統校ほど保守的だったことと関係している。
鞭打ちの対象となる行為
鞭は、学校だけでなく家庭でも日常的に使われていた。子どもは家で叩かれ、学校で叩かれ、気の毒この上ない。
そういえば、『ピーターラビット』を読んでいて、ぎょっとしたことがある。あんなに可愛らしいお話なのに、ピーターといとこのベンジャミンが、伯父さんからこっぴどく鞭でお仕置きされる場面があるのだ。やはり、「鞭は教育に不可欠なもの」として、童話の中にさえ浸透していたのである。

ベンジャミンおじさんに鞭でお尻を叩かれるピーター。
では、一体どういう場面で教師は鞭を使ったのか?
- いたずらをした時
- 教師の言うことを聞いていなかった時
- 計算を間違えた時
- スペルを間違えた時
き、厳しすぎ…!!
どうりで、必ず毎日誰かが鞭で叩かれるわけだ。こんなささいなことで叩かれるなら、鞭で叩かれない子どものほうが珍しいだろう。
しかしこれは、子供が鞭で叩かれるごくごく「まっとうな」な理由だったらしい。中には、「教師と苗字が同じだった」というだけで、新学期初日に鞭打たれた子どももいた。「苗字が同じだからといってエコひいきはしない、ということをクラス全体に見せるためだった」と言われている。
また、”Canada”(カナダ)のスペルで、”C”を小文字で書いただけで鞭で叩かれたり、お祈りを忘れてしまっただけで、7回叩かれた子供もいた。まだ小学校1年生の女の子である。
鞭はどんなものだったのか?
スコットランドの鞭は”Tawse”と呼ばれ、先が2つか3つに分かれているストラップのベルト。

Wikipediaより転用
そして、生徒は上の絵のように両手を教師に差し出さなくてはならない。そこをピシャ!っとやられるのである。
血が出るまで叩くことはなかったが、みみずばれやアザは出来る痛さだったらしい。子どもたちは家に帰る時にそのみみずばれを親に隠したという。なぜかというと、先生から叱られたことが分かったら、親からまた鞭で打たれるからである!!
ちなみにイングランドの鞭は”Cane”と呼ばれ、短く細い杖のようなもの。「ベンジャミンおじさん」が持っていたようなもの。
どれくらい鞭で叩かれたのか?
- 4万人を対象にしたスコットランドの調査(1980年)によると、中学・高校を通して一度も鞭で叩かれなかった男子生徒は、4万人中たったの20人だった(0.5%)。
- 1977年の調査では、12~15歳の男子生徒のうち、1/3以上が10日間に1回は少なくとも鞭で叩かれた。1/5は、10日間に3回以上鞭で叩かれた。
体罰の効果は?
極めて短期的
「40人もの中学生の男の子がいるクラスで、鞭なしで授業が出来ると思いますか?鞭は、必須ですよ」と、かつての全寮制の教師たちは言った。
しかし、先ほどの調査からも分かるように、体罰の効果は極めて短期的。2週間もすれば1/3の生徒が鞭で叩かれるハメになるのである。
精神的なダメージ
短期的には体罰はある程度の「効果」はあるかもしれない。しかし長期的に見ると、精神的なダメージのほうがはるかに大きいことが分かっている。
先ほどの”Canada”の”C”を大文字で書かなかったためにベルトで叩かれた生徒は、精神的に鬱になり、そのことがきっかけで2年間登校拒否になったという。
多くの体罰をされた人たちは、「どうってことなかったですよ」と言う。自分たちが悪かったし、叩かれたことで強くなった、と。
しかし最近の脳神経の研究によると、予測不能の恐怖体験は子供の脳の発達に極めて深刻に影響することが分かっている。また体罰は、攻撃性の増加、自己肯定感の低さと関係し、深い人間関係を築くことを妨げることも分かっている。
霧立の中学高校時代に一人だけ体罰をする教師がいた。体育の教師だ。その教師が話している時に生徒がおしゃべりをしていると、思い切りボールをぶつけた。毎回ではない。おそらく1年に2,3回。
ちなみに霧立はぶつけられたことはない。しかし、それでもいまだに時々悪夢を見る。体操着を忘れる夢だ。別に体操着を忘れただけでは体罰を受けない。それでもその教師には厳しく叱られた。
私の知る限りでは、その教師はただただ生徒に怖がられ、誰も心を開いたりした者はいなかった。その教師が来ると、みんなピシっと引き締まった。でも、それは怖かったからそうしただけ。
強い恐怖は、思考を停止させる。体罰は、「どうするべきか?」「何が悪かったのか?」などと反省を促したりはしないのだ。
なぜイギリスでは体罰が容認されてきたのか?
実はヨーロッパの国々では、イギリスに比べてとっくの昔に法律で体罰が禁止されていた。ポーランドが一番初めで、ナント1783年!イギリスより200年も早い。
- フランス:1887年
- ロシア:1917年
- フィンランド:1914年
- オランダ:1920年
- イタリア:1928年
- スウェーデン:1928年
- ノルウェー:1936年
- デンマーク:1947年
興味深いのは、英語圏は軒並み遅れていたこと。ニュージーランドは1989年、カナダは1990年代、そしてオーストラリアやアメリカの一部ではいまだに体罰は容認されている。
これらの国々はそもそもイギリスの移民で形成されていった。イギリスの体罰の伝統が引き継がれていったこともあるかもしれない。
またこれは霧立が個人的に思うことだが、英語圏の国は合理性を重視し、哲学や思想はあまり重んじられないことが関係しているのではないだろうか?歴代の重要な教育思想家、フレーベルやペスタロッチ、ルソー、モンテッソーリなどはみなヨーロッパ大陸の人々である。
ジョン・ロックはイギリス人の教育思想家で、体罰には基本的に反対だったが例外も認めていた。また、ロックは「子どもはそのままの状態では白紙」のようなものと考えていたので、「教師が教えてやらねばならない」という教育思想だった。
「子どもに宿る神性」を強調したフレーベルとは、なんだか全然違う。子どもに対する尊敬のまなざしが欠けていたのではないだろうか?
また、ヨーロッパの国々は国境を接しているので、相互に影響を与えてきた。しかしイギリスやニュージーランド、オーストラリア、カナダ、アメリカなどは影響しあう国が地理的にほとんどない。
今回のBrexit騒ぎもそうだけど、イギリス人は「私たちは自分たちのやり方で行きます」という意識が強いような気がする。また昔からイギリス人はイギリスを「ヨーロッパ」の一部とは見なしていない。
幸い、イギリスでも体罰は禁止されるようになった。しかし、その教育方針は極端から極端に振れ、現代では「問題行動」を起こす子どもにもフィジカルな介入をしない。
また、体罰の代わりに「精神的な懲らしめ」によって子供を矯正しようとしているのは、なんともイギリスらしい。
これまで私は、現代のイギリスの学校教育に「なんで?」と首をかしげることが多かったのだが、今回歴史を振り返ってみてなんだかその理由がよく分かるような気がした。