医者とプライド
プライドの高い日本の医者
これは多くの人が経験して分かっていることだろう。もちろん中には謙虚で、親切な人もいた。しかし日本の医者は往々にしてプライドが高いっ!!
患者が医師に疑問を差しはさんだりすると煙たそうな顔をされる。霧立は何でも納得がいかないことは質問したい性格なので、この「煙たそうな顔」には結構な確率で遭遇した。怒られたこともあった(なんでやねん?!)。それでもめげずに質問することろが霧立なのだが…。
セカンドオピニオンを嫌う医者もいまだに多いとも言われている。自分の診断が絶対だと思っているのだろうか。すごい自信だな…と思ってしまう。
患者の方でも、医者のことを「お医者様」と呼ぶ人がいる。なんで…「様」?「様」の付く職業は他に見当たらない。「お医者様」なんて言われたら、そりゃプライドも高くなるわな、と思ってしまう。
そんなわけで普通に接してくれる医者に会うだけで、めっちゃ好感度が高くなるし安心する。
プライドの低いイギリスの医者
イギリスで暮らすようになって驚いたことはたくさんあるが、医者のプライドの低さもその一つだ。
自分で患者を呼びに来る
まず驚いたのは、待合室で診察を待っていると、なんと医者がわざわざ患者を呼びに来てくれること!
「アカリ・キリタチさーん。こんにちは。元気ですかー?どうぞこちらへー!」
と迎えてくれる。初めは看護師かと思ったら、その人が医者だった!
ゲロを掃除をする医者
ユウがまだ小さかった頃、今から思えば胃腸炎だったのだろう、高熱と嘔吐でぐったりしていた。翌日は土曜で病院は閉まることを考えて、診察終了ギリギリに病院に飛び込んで診てもらった。
「おなかの風邪ですねー。小さな子どもには珍しくないですよー。数日ゆっくり休めば治りますよ」
とシニアの男性の医師はにこやかに言った。
(ありゃー、必要もないのに慌てて来て煩わせてしまったなぁ…)
とちょっとバツの悪い思いをしながらユウを抱っこして診察室を出ようとしたら、
ゲボッー!!!
と大量に床に吐いてしまった…。ユウもかわいそうだけど、親として慌てた。そうしたら、
「大丈夫ですよー。気にしないでください。私、やっときますから」
と言って、なんとその医者は自らゲボで汚れた床を掃除し始めたのだ!看護師はいない。金曜だしたぶん、もう帰っちゃったのだろう。
ええええ!?
「ああそうですか」とすぐに立ち去れずにまごまごしていた私に対して、
「いいからいいから、気にしないで早く帰って子どもさんを休ませてあげてください」
と医師。ゲボ掃除をする「お医者様」には相当たまげた。イギリスの医師は、プライドがない分、フットワークも軽いのだ。
患者に相談する医者
実はユウは甲状腺に異常があって、半年に一回子ども病院で検診を受けている。担当はポーラという名前のシニアの女性医師。(もちろん彼女もいつも待合室に迎えに来てくれる。)
子どもの甲状腺異常はケースが少ないため、ポーラはユウのために医学論文にも目を通してくれている。自分がまだよく知らない情報がある、ということを隠すことなく教えてくれる。
検診の時に、ポーラが読んだ論文の内容を教えてくれる。
「その論文はいつ、誰によって書かれたものなんですか?」
と私が質問しても、当たり前のように親切に教えてくれる。日本だったら、患者が論文のソースを確認するなど、超ナマイキ、御法度もいいとこだろう。また、
「私も探しておきますが、あなたも論文探して読んでおいてください。次回、分かったことがあったら教えてください」
と言う。
先月行ったとき、彼女は日本の甲状腺専門医にアドバイスを求めるべく手紙を書いてくれていた。
「手紙を書いてみたんですけど、ちょっと事実関係が合っているか、確認してもらえますか?」
とパソコンの画面を私に見せて手紙の内容が正確か、私にチェックを頼む。どの医師に送るか、ということに関しても、
「甲状腺の問題は日本では政治的な問題と絡んでて、国よりの研究者は問題を過少評価する傾向にあるからちょっと心配です」
と霧立が言ったら、
「OK. 分かりました。じゃ、どの研究者に送ればいいか、次の検診までに調べてきてもらえますか?そして次回そのことについて話し合いましょうね。えーっと、じゃこの件については次回、”Discuss”…と…。」
ポーラはそう言って、カルテにメモを書き込んだ。
患者を対等に扱うその姿勢には、いまだに驚かされる。
対等な社会
イギリスは、対等な人間関係が広く社会に浸透しているように思う。客とお店の店員の関係も、基本的に対等。
医者はイギリスでもミドルクラスで、ステイタスのある職業だ。でも階級と態度は関係ないのだ。階級意識から威張っている人もいないし、卑屈になっている人もいない。(性格的に威張っている人や卑屈な人はもちろんいるが、それは階級とは別問題だ。)
この対等な人間関係、霧立は結構好きだ。特に日本のように医者が威張っていて、患者が委縮しているのはおかしいと思う。自分の健康や体のことに関する医療。主権は患者にあって当然だ。質問するだけで煙たがられるというのはよく分からない。
日本の医者のプライドが高い理由
日本では、通常、サービスを受ける側である「客」が威張っているのに、医者(医療サービス提供者)と患者(サービスの受給者)の関係では不思議とそれが逆転する。なぜだろう?
先ほども「お医者様」という呼び方に触れたが、この呼び名が原因になっているような気がする。「お医者様」と言う人は現在少なくなってきているとはいえ、「先生」と言う呼び名は健在だ。
別に何か教えてもらっているわけではないのに、なぜ「先生」?と昔から疑問だった。ある医師は、医療機関を「健康道場」になぞらえて、こう説明する。
医師は「病める患者さんに健康を取り戻す術を正しく指導する責任を持った存在」だから「先生」と呼ばれるのだ、と。ふーん…なんか難しいこと言いマスね、しかし…
質問したら怒る「先生」なんて、先生じゃないデショ!
「教師」-「生徒」の関係だったら普通、質問OKでしょ?!と霧立は思う。真の教師は、生徒に分かるように丁寧に教える。質問はもちろん大歓迎。
そういう「教師」としての姿勢が医師にない限り、「先生」と呼んでも一方的にプライドを助長するだけ。(そうでないお医者さんがいるのも知っているが。)
日本の医師のプライドが高いのは、厳しい受験戦争に勝ち抜き頂点に立ったエリート意識+「先生」という呼び名にある、と霧立は思う。
おわりに
別に医者を「先生」と呼んだっていい。でも、本当に「先生」ならもっとちゃんと「生徒」(=患者)に分かるように 丁寧に教えてほしいし、質問しても機嫌を損ねないでもらいたいと思う。
自分の体は自分のもの。命は他のどんな学校の勉強より大事。だからこそ、患者はちゃんと病気やけがの状態を知りたいし、治療方針なども医師と相談して決めたい。知らないことは知らないと言ってほしい。(プライドが高いとそれが言えない!)
医師と患者の間の情報の不均衡が大きすぎると、いったい誰のための医療なのか分からなくなる。
ガンの告知の問題にしても同じだ。「告知をしない」というのは、医者の驕りの極みだと思う、というのは言いすぎだろうか?
まあ、医者に限らずプライドなどないに限る。最近は患者側でも「お客様意識」が強すぎる人がいるという。「金を払っているんだから治して当然だ」という高圧的な態度。
それもこれも、「どっちがエライか?」というつまらないプライドから来ている。プライドほど人を遠ざけ、社会をギスギスさせるものはないと霧立は思う。
立場の違いはあっても、お互い相手をリスペクト出来る社会になればいいなぁと思う。