前回、「失敗しないヴァイオリンの選び方」シリーズで霧立が揺れた二本のヴァイオリンについて少し触れた。今回はそのうちのMatthew Hardie(マセィユー・ハーディー)という人物が制作したヴァイオリンについて詳しく書いてみたい。
Matthew Hardie (1823)
初めの出会い
初めてMatthew Hardieと出会ったのは2017年のクリスマス前だった。エディンバラにあるStringersという楽器店にアポなしでマナブと行ってしまって、試奏ルームが使用中だったためにお店の受付のところで弾かせてもらった。
6本弾いて、すぐに1823年製のMatthew Hardieに心を奪われた。
「これは凄い!!」
かなりの好印象だった。興味深かったのは同じMatthew Hardieが制作したヴァイオリンが他に2本あったのだが、音のコンセプトも出来栄えもバラバラだったこと。
制作者によっては、かなり均質な楽器を作り出せる人もいるが、そうでない制作者もいる。Matthew Hardieは後者の代表みたいな人で、彼の作る楽器は玉石混淆だったのだ。
しかし1823年制作の彼の楽器は、素晴らしかった。余りの素晴らしさに心を打たれて、食欲も失せたほどだった。
Matthew Hardie
Mathew Hardieについて少し紹介しておこう。
Matthew Hardie (1755‐1826)

Sir William AllanによるMatthew Hardieの肖像画 1822年
エディンバラの時計職人の家庭に生まれる。ヴァイオリン制作を誰に師事したかは分かっていない。しかし、存命中からその腕はイギリス中に知れ渡り、「スコットランドのストラディバリウス」との異名を持つ。
作風はアマティとストラディバリウスの精巧なコピーに独自の工夫を加えていった。特に後期の作品ではシャープなエッジがひと際エレガントな印象を放っている。
ニスの色は黄色や茶色。中には赤身がかったニスも見られる。音色は一般的に低弦は温かく、E線は銀の鈴のように透き通っている。
Matthew Hardie自身はアルコール依存の問題を抱えており、しばしば金銭的に行き詰まった。彼がエディンバラ内で住所を転々と変えているのは、その時々の経済状況を示している。負債を返済できずに牢獄に入れられたことも二度あったほど。
その日暮らしの経済だった時期もあり、てっとり早く収入を得るために安価な楽器を量産したこともあった。(質の高い楽器は制作に時間がかかるため価格も高く、売るのに時間がかかった。)
最期は酔っぱらって階段から足を滑らせて亡くなっている。貧乏だったのでエディンバラのグレイフライヤーズ教会の共同墓地に葬られた。
1823年製のMatthew Hardie
ヴァイオリンの価格は歴史の中で一定の評価を得ている制作者のものの場合、下がらない(くわしくはこちら)。Matthew Hardieはすでに名声を博しており、特にイギリスのディーラーなら誰もが評価する製作者だ。
あまり出来のよくない彼の作品でも今や£16,000(約240万円)は下らない。あとは作品の保存状態や出来栄えなどの要素で価格が付加されていく。
また製作者の制作時期において、優れた楽器を作っていた時期とそうでない時期がある場合が多く、それによって価格も変動する。
例えば有名なアントニオ・ストラディバリウス(1644‐1737)で言えば、1700年から1725年が「黄金期」とされ、その期間に制作された楽器は天文学的な高値で落札される。
Matthew Hardieで言えば、最高価格で落札されたのはなんと彼が1823年に制作したヴァイオラだった(チェロを除く)。ストラディバリウスとは比べ物にならないが、オークション落札価格は£23,600。店頭価格になれば£30,000(約450万円)は下らないだろう。
オークションで有名なTarisioのウェブサイトは、過去20年間以上のオークション価格が調べられる。そのため、制作者の制作時期と価格の動向を知るヒントになった。
Matthew Hardieのヴァイオリンのうち最高価格で落札されたのも1823年。この年、彼はなかなかよい楽器を制作したのではないかと霧立は考えた。
因みに霧立がStringersで出会ったMatthew Hardieは店頭価格で£18,000(約270万円)だった。
初恋のヴァイオリン
才能を持ちながらも波瀾万丈の人生を送ったMatthew Haride。特に人生の最期は暗いものだった。しかし、霧立はこの「酔っ払いのHardieおじさん」が作った楽器に、言うなれば「一目ぼれ」してしまったのだった。「もっとこのヴァイオリンを知りたい」と思い、Stringersから楽器を借りてきた。
それまでは、「やっぱりイタリアのヴァイオリンが欲しいなぁ」となんとなく思っていた。「クレモナ信仰」から抜け出したとはいえ、イタリアの楽器への無条件な尊敬と憧れはそう簡単には薄れなかった。
しかし、Matthew Hardieについて知れば知るほど、どんどんイタリアの楽器なんてどうでもよくなっていった。
Hardieは有名だったので、数々の逸話や直筆の手紙、肖像画まで残っている。過去400年の間、ヴァイオリン制作者は無数にいる中で、ここまで詳細なストーリーが残っているのは一部の歴史的巨匠を除けば大変珍しい。
しかも、いろいろな逸話に出てくるHardieが散歩した道、住んでいた場所、葬られたお墓のある教会などはすべて私自身の馴染みのある場所。
200年の歳月を超えて同じ街で暮らし、同じ景色を見ていることの不思議さ。
そしてそのHardieが200年前に魂を吹き込んだヴァイオリンで今私が音楽を奏でている。
時空を超えた精神の不思議な結びつきを感ぜずにはいられなかった。
「一目ぼれ」はいつしか「本当の恋」になっていった。
Londonへ
心の中ではもうMatthew Hardieに決めちゃっていいんじゃないか?と思っていた。でも周りは
「いくらなんでも、ロンドンくらい行ってもっと見たほうがいいんじゃない?」
と言う。霧立はMatthew Hardieが買いたくて仕方がなかったから、あまり気が進まなかったけれど、
「ロンドンに行って他にも弾いてみて、Matthew Hardieよりいいのがなかったら確信をもってHardieを買える」
と考えて行くことにした。
まるで大好きな人がいるのに、周囲に勧められてしぶしぶお見合いをさせられに行く気分だった。
Hardie氏に出会ってから3か月目の2018年の2月のことである。
ここからヴァイオリン選びの混乱と苦悩は始まっていくのだった。