日本でのサマータイム導入について考える
昨日は、EUのサマータイム廃止論について考えてみた(くわしくはこちら)。今日は宣言した通り、さっそく日本のサマータイム導入の是非について書いてみたい。
東京五輪の期間だけサマータイム
これは、反対。
タイムチェンジにかかる経費の問題から反対なのはもちろんだが、「時間」というものを何だと思っているのか?と思ってしまう。
時間というのは、そこに存在する全ての人の生活を縛り、また緩めるものである。「自分は関係ないよ」などと言える人は、一人もいない。そういう意味で、「時間」は絶対的な権力のようなものだ。(その最たるものは、暦を支配したローマ時代の権力者だった。)
オリンピックが国を挙げてのビッグイベントだというのは分かる。しかし、国民全員が期待して楽しみにしているかというのは別問題。税金が使われるのは致し方ないとしても、関心ない人にとっては時間、すなわち「生活全般」にまで影響を強いられるのは迷惑な話だ。
だいたい、タイムチェンジは1時間であっても、慣れるまでの数日は体が本調子ではない。そのため、ヨーロッパではタイムチェンジの直後は、睡眠不足などから交通事故が急増するとまで言われている。それが2時間時計の針を進める、というのはとても乱暴な話だ。
オリンピック、見たい人は見ればいいしそうでない人は見なければいい。日本に住んでいる全ての人の生活をオリンピックのためだけに「タイムチェンジ」という強引なやり方で変更させるのは、国家権力の過度な介入だと霧立は思う。
一般的なサマータイムの是非
では東京オリンピックの話は抜きにして、今度は一般的にサマータイムを日本に導入することについて考えてみたい。霧立はサマータイムのアイデア自体には賛成だ。その理由は以下の通り。
暑さ対策
日本の酷暑ぶりは尋常でない。あまりに暑さに人が倒れ、死亡するほどだ。そんな日本の夏には、ヨーロッパとは違った理由でだが、暑さ対策としてサマータイムは有用だと思う。
気象予報士の森田正光氏は、1、2時間繰り上げたところで気温は1~2℃しか変わらないので、サマータイムは意味がない、と言っている。1~2℃と聞くと大したことがないかのように聞こえるが、本当にそうだろうか?
「昔の夏はもっと涼しかった」と思って、過去50年分の気温を調べたTwitterユーザーの「斑猫賢二(HAN-NEKO,Kenji)(@Tvvitter_com)」氏が興味深いデータを提供している。
なんと、50年前と現在では気温は約1℃しか変わっていないことが分かったのだ。
また平均気温が1℃上がるごとに、ビールの販売量数は30万本増えるというデータもある(キリンビール調べ)。
やはり1℃といえども、体感温度はずいぶん違うことが分かる。だから暑い季節は1時間でも早く一日を始めて、1時間早く仕事(学業)を終えることに意義はある、と霧立は考える。
混乱などしない
またタイムチェンジが混乱をもたらすと言う人がいるが、霧立はテクニカルにはそれは大丈夫だと思う。今やスマホの時計はこちらが何もしなくても勝手にタイムチェンジしてくれるから、目覚ましもちゃんと予定通り鳴る。海外に行った時もちゃんと現地時間に切り替わる。さすが”smart- phone”である。
スマートフォンが勝手にタイムチェンジしてくれるというのに、他の媒体で不可能だということがあるだろうか?まさがGPSでなく、手動で時計を合わせているなんてことはなかろう。
ミレニアム問題の時も、多くの人がコンピュータシステムの混乱を心配した。1999年12月31日の閑散とした空港の様子をテレビで見たのを今でも覚えている。飛行機が墜落することを恐れて、旅行日程をずらした人が多かったためだ。でも結果的に、大きな混乱は何も起こらなかった。
ヨーロッパや北米では、問題なくタイムチェンジを何十年もやってきた。日本の技術をもってして出来ないはずがない。
サマータイム導入を妨げていること
1.残業に対する感覚
日本では、「残業が多い=仕事を頑張っている」というように考えられがちだ。だから、上司より先に帰るのはなかなか勇気が要る。
しかし、サマータイムでは「1時間早く始める」ことと「1時間早く終える」ことはセットでなければならない。「サマータイムで残業時間が1時間増えた」というのでは元も子もない。
上司が自分の意志で残業しているのは勝手だが、他の社員がそれに囚われずに1時間早く帰れる雰囲気が必要。また残業を美化する労働文化と労働環境が変わらない限り、サマータイムは人々を苦しめるだけになってしまうだろう。
2.業務終了後も続く職場の付き合い
仕事のあとの「付き合い」。これは、日本の勤め人を疲弊させる悪しき習慣だと思う。せっかく仕事が早く終わっても、「今日は早く終わったから、飲みに行こうか!」となって結局帰宅時間は遅くなる。
自分が行きたいならまだしも、上司の誘いを断るのはタブーな社会だ。マナブは日本でサラリーマンをやっていた時に、なんと社長の誘いを断って、直属の上司にこっぴどく怒られた経験がある。都合が悪かったから断っただけだったのだが、そういうことは通用しない社会なのである。
しかし本来、業務終了後はいかに彼が上司だとしても、そこには上下関係はないはずだ。彼が上司であるのは、仕事中だけ。
仕事とプライベート、オンとオフの切り替えが難しい限り、サマータイム導入は「つきあい残業」を増加させるだけになりかねない。
3.時間に対する厳密さ
我々日本人は、他国民と比べて時間に正確。ちょっとでも何かが遅れるとイライラする。しかしタイムチェンジに慣れていないと、初めの数年はおそらく忘れる人や寝坊する人が必ずいるだろう。
そこをおおらかに「ああ、今日タイムチェンジの日だったからね!」と笑える度量がないと、その日は日本全国でストレス度合がピークになるだろう。「サマータイム殺人」なんて起きたらシャレにならない。
コンビニなどで売られている一部の傷みやすい食品には「消費期限」が表示されており、そこには日付のみならず時間まで表示されている。サマータイムが導入されたらこれはどうなるのか?と混乱を危惧する意見もある。
霧立は、この時間表示はそもそも行き過ぎだと思う。我々日本人は時間に厳密だが、どうして1時間単位で消費期限を記載しなければいけないのか?時間よりも、その食品を保存する温度のほうがよっぽど食品の鮮度に影響するはずである。
もちろんある程度の消費期限表示は必要だ。しかし表示にだけ頼ろうとせずに、自分の頭、経験、味覚、匂いを使って判断するほうが、よっぽど安全だと思う。
社会の隅々にまで厳密な時間の正確さを求めるような社会では、おそらくタイムチェンジは難しいだろう。
しかし、語弊がないように言っておくが、イギリスではタイムチェンジがあっても交通機関のダイヤ乱れなどは聞いたことがない。もっとも、イギリスでは、電車やバスが5分、10分遅れるのは日常茶飯事だから、誰も気が付かないだけかもしれないが…。
4. 用意周到過ぎる生真面目さ
先ほど、タイムチェンジがあってもテクニカルには混乱は起きなはずだと述べた。そう、日本の技術は世界に誇る正確さだ。技術的には心配ないだろう。
しかし、皮肉なことに我々日本人の生真面目さがサマータイム導入を困難にするかもしれない、と霧立は思う。
先日、数年ぶりに日本人コミュニティーのイベントに参加した。そこでまず驚いたのは、隅々まで行き届いた配慮と説明だった。そこまで全部詰めなくてもいいのに…ということまで全て網羅的に、完璧に準備されていた。気の毒なことに主催者は準備で疲れ切っていた。
多分、同じことをイギリス人が準備したらこの半分もやらんだろうな…という感覚だ。だから、蓋を開けてみたら多分困ることもあるだろうが、臨機応変に対応して何とかなるのである。そして、試行錯誤しながら改善していくのである。
しかし、我々は初めから完璧に、抜かりなくやろうとしてしまう。霧立もそういうところがある。でもそれだと当たり前だが、疲れて行き詰まる。
テクニカルには混乱は起きないと思うが、用意周到に真面目にやろうとするあまり、現場からは「サマータイムなんてムリっ!!」という悲鳴があがりかねない。
おわりに
こうやって考えると、我々はなんと不自由な国民性なのかと思う。礼儀正しく、勤勉、時間に正確で、用意周到。確かに経済は繁栄するかもしれないが、堅苦しく融通が利かない。
サマータイムは当初はエネルギー消費を抑えるために導入された。しかし現代のヨーロッパでは、「いかに仕事/学校の後に自由な時間を確保するか」という目的に仕えるものとなっている。
EU市民がサマータイムを年間を通じての標準時間にしたいのも、少しでも早く仕事を終えて、短い冬の日照時間を楽しみたいからだ。サマータイムを導入した場合に、残業の延長が懸念される日本とは大違いだ。
「もっと自分の人生を楽しみたい。」
この気持ちがサマータイム導入の根っこにない限り、日本ではサマータイムは良いものをもたらさないと霧立は思う。