クラシックの世界は保守的。
オーケストラのコンサートに行っても、楽団員は男性が圧倒的。世界的に有名なウィーンフィルは、1997年まで事実上「女人禁制」だったほどだ。
男女平等を掲げる現代社会において、クラシック業界はまだまだ遅れをとっている。
しかし…。クラシックの世界で性差別を受けているのは女性だけではない。実は、悩みがより深いのは男性なのではないか?
楽器とジェンダー問題、悩み多きは実は男性?
「男のくせに…」
ピアノ編
わたくし霧立灯が小学5年生の時、クラスに男の子が転校してきた。桜井みっちゃん。
「桜井ってピアノを弾くらしい」
「桜井のうちには、スタインウェイ(←最高のグランドピアノ)があるらしい」
うわさは瞬く間に広まった。小さい頃からヴァイオリンを習っていた霧立は何とも思わなかった、といより、(へえ、音楽仲間が増えた!)という嬉しさがあって、みっちゃんとはすぐに仲良くなった。
しかし、うわさはすぐに陰険なイジメに変わった。
「桜井、オンナみてぇ!」
「オ〇マ!」
顔を真っ赤にして屈辱に耐えているみっちゃん。その頃、霧立は学校でただ一人「紺色のランドセル」をしょっていて「オトコ女」といつもからかわれていたので、性別をからかうイジメに無性に腹が立った。
「別に男の子がピアノ弾いていたっていいじゃん。性別なんて関係ないよっ!」
と霧立はいじめっ子男子に向かって抗議したが、みっちゃんへのイジメは続いた。(興味深いのは、女子はみっちゃんのことを誰もからかわなかったこと。乱暴者の男子だけがからかった。)
「オンナみてぇ」とからわわれたみっちゃんと、「オトコ女」と呼ばれ続けた霧立は妙な連帯感でつながり、高校生になるまで時々ピアノとヴァイオリンのデュオを組むようになった。

実はみっちゃんの家にあったのは、スタインウェイではなく、ヤマハのグランドピアノだったんだけどね。
みっちゃんはその後、音大に進み、今は演奏活動の傍ら音大で教える仕事をしている。今でこそ男の子がピアノを習うのは珍しいことではないが、30年前はこんな偏見があった。
フルート編
次は20年くらい前に、霧立がアメリカの大学に留学していた時のこと。霧立は、音楽専攻の学生に交じってオーケストラの授業をとっていた。
ある時、モーツァルトのフルートコンチェルトの2番をコンサートでやることになった。知らない人のために説明すると、それは最高に優雅でこの世のものではない、まるで天国みたいな曲なのだ。
初めてソリストと合わせる日、やってきたのは…ブルドッグのようないかつい顔をした巨体の男子学生だった。
えええっ!!
この2メートル級の人がフルート奏者?!
正直、とても驚いた。彼がフルートを構えると、まるでピッコロ…。

上がフルートで、下がピッコロ。
しかし、初めのソロのフレーズを弾いた時、さらに度肝を抜かれた。
彼の外見とはかけ離れた天上のモーツァルトの軽やかさが、そこにあったのだ。驚き、感動に打ち震えながら彼の音楽に遅れないように必死についていったことを、つい昨日の事のように覚えている。
世界中で名をはせるトップ20のオーケストラのうち、楽団員の7割は男性。しかしフルートは、ハープについて女性が多い楽器なのだ。
小学生の時、「楽器に性別なんて関係ないよ!」と叫んだ私もまた、偏見にとらわれていたことを思い知らされた体験だった。
「女なのにカッコいい」
次に、霧立が社会人になってから入っていた都内の某オケでの話。そこで、ティンパニーを担当していたのは立花玲さん。

バンドで言えばドラムみたいなものがティンパニー。
ショートヘアですらりと背が高く、スパーンと竹を割ったような性格の人だった。(いかにもティンパニーに向いていそうな…。)
「立花さんってカッコいいよね~」。ティンパニーは心臓が強くないと出来ない楽器だが、絶妙なタイミングで音楽にスパイスを与えてくれる立花さんは、「カッコいい」という言葉がよく似合った。
実はこのティンパニー、圧倒的に男性が多い楽器なのだ。先ほどの世界のトップ20のオーケストラでは、男性が96%を占めている。
しかし、それが女性の場合、「女なのにカッコいい」というプラスの評価になるのである。彼女自身、ティンパニー奏者であることを、誇りにしていたと思う。
楽器にまつわる特定のイメージ
このように、楽器には性別のイメージがつきまとう。具体的に言うと、こんな感じだ。
- 管楽器
- 打楽器
- コントラバス
- チェロ
【女性的なイメージの楽器】
- ハープ
- フルート
フェミニズムの影で
冒頭にも書いたように、プロのオーケストラでは、圧倒的に男性の楽団員が多い。しかし、話がアマチュアオケとなると、事情は違ってくる。男女比はだいたい50:50。
立花さんのような女性のティンパニー奏者、管楽器奏者も増えてきた。フェミニズムによって女性の権利が重視されるようになり、女性が様々な分野で活躍することが奨励されてきたことと関係していると思う。
しかし、私にはどこかひっかっかる。
女性が「男性的」であると「カッコいい」というプラスの評価が下されるのに対して、男性が「女性的」であると「男のくせに…」とか「女々しい」とマイナスの評価になってしまうということだ。
この感じ方の根底には、「男性性の優位」という意識が脈々と息づいていると思うからだ。奨励されてきたのは、女性がこれまで「男性的」と考えられてきた領域に参入していくことであり、女性性そのものが評価されてきたわけではないのだ。
え…?何言ってるか分からんって?スミマセン…。
えーっと、簡単に言うと、女性が男性のようになることは「カッコいい」と評価されるけど、その逆は評価されずらい社会だってことデス。フェミニズムっていうのは、本来は「男女同権」を目指すはずなんだけど、単に男性社会に女性を迎え入れただけってこと。その逆はない。
実際、こんな話がある。
会社を辞めてピアノの先生になったという斎藤マシオさん。音大なら男性講師も多いが、「街のピアノの先生」となると圧倒的に女性が多い。
子どもたちと楽しくレッスンをしているが、中には「おとこのせんせいはヤダ」と言って退会していった子どももいたとか。「ピアノの先生は女じゃなきゃ」と考えている人が一定数いるというのである。
また、ハープを習い始めたが、とても会社の同僚たちには言えないとコソコソ仕事帰りにレッスンに通っている男性の話も聞いたことがある。
なんて、不自由な…!!

そもそも19世紀までは全ての楽器は男性が弾いていた。いにしえのダビデ王もハープの名手として有名だった。
性別の固定化したイメージから抜け出すのが困難なのは、女性よりも男性なのかもしれない。最近は「草食系男子」もすっかり市民権を得た。しかし、楽器は「美」や感情表現に直結するものだけに、男性が楽器にまつわるジェンダーイメージを乗り越えるのは苦労が大きい。
楽器は自己表現の手段。誰もが自分の好きな楽器を、自由にはばかることなく演奏できる社会になれば、社会も、音楽の世界も、もっと豊かになるに違いない、と霧立は思う。