
「海外で育てば子どもは簡単にバイリンガルになる」と誰もが思うかもしれない。わたくし霧立灯も、そう信じて疑わなかった。
「バイリンガル」と一口に言っても、その定義の幅はかなり広い。でも、「両言語とも100%」という意味でのバイリンガルは、そんなに簡単なものではないというのが、7年イギリスで暮らしてみてつくづく感じたことだった。
また、真のバイリンガルとは本当にあり得るのか?といったことも併せて考えていきたい。
我が家の海外生活歴
霧立一家は、息子ユウが3歳になったばかりの時に渡英し、約7年間イギリスに滞在した。3歳までは、完全日本語の生活で、英語の早期教育などは一切やらなかった。
渡英して、すぐに現地のモンテッソーリ幼稚園に入り、その後、現地の小学校に通い、5年生の時に日本に本帰国。

日本語補習校については、本人の希望で一度も通わなかった。学校に他に日本人はいなかったので、日本語に接する機会は家庭のみだった。
7年間の間、一時帰国したのは1回のみ。その時、日本の学校に体験入学することもなかった。
…とここまで書いて、あまりのユウの日本語のダメダメぶりの理由が分かってしまって、反省。ま、これがユウの言語環境でした。
英語が母語になるまで何年かかった?
ユウの英語が、同年齢の子供たちと同等になるまでには、予想以上の年月を要した。はじめは、「2,3年でネイティブレベルになるでしょ?!」と思っていたが、それは甘すぎた。
1年目(3歳):相手の言っていることは80%くらいは理解していたと思う。でもアウトプットは、短い文のみ。友達はいたが、基本3歳児の遊びは言語を要しない遊びばかりなので、思ったように英語力が伸びない。
この頃は、言語の上達というより、人種の壁を感じる以前に、多文化・多人種を当たり前のものとして取り込んでいったということが一番の宝だったと思う。
2~3年目(4~5歳):自分に対して語られた英語は100%理解し、自分の言いたいことは70~80%表現できた。ただ、語彙力は同年齢の子供より低かった。この年齢だとネイティブの子供でも時制や文法の間違えが結構あるものだが、ユウは特に多かった。遊び方は相変わらず追いかけっこなど、言語不要なものが多かった(言葉使ってくれ~)。
日本語も英語も不完全で、自己表現できないもどかしさがあり、親子間で理解しあえないイライラが募った時期。
4~5年目(6~7歳):7歳で、やっとネイティブの語学力に追いついた。5年かかった。7歳頃から読書に目覚め、むさぼるように本を読み始めた。そこから語彙力が急増し、ほぼ親と同等の語彙力になる(難しい単語はまだ親が優勢、虫などの名前や副詞は子供の方が優勢!)。
英語が母語となり、家庭で日本語で話しかけても英語で返ってくるようになった時期。
6~7年目(8~9歳):完全に英語が母語となる。韻を踏んだ冗談やフレーズ、ことわざを日常会話にちりばめるようになる。読書量が半端なかったので、読解力・語彙力も同年代の子どもをしのぐようになった。それでもやはり子供なので、言い間違えなどは普通の現象としてたまに起きる。
毎朝、漢字の学習を家庭でやっていたのが、異常なまでに覚えが悪く、親子の間で軋轢を生むようになる(「漢字バトル」)。日本語の発音がやや不自然になってくる。
結局、英語がネイティブ並みになるまでには5年かかった。そして、それと反比例するかのように、日本語力が伸びなくなっていった。英語優位となり、2言語100%のバイリンガルとはいいがたい状況。
帰国してみて分かった子供の真の日本語力

「ガッキュウ会?あれは、みんなが何を話しているのかぜんぜん分からなかったヨ…」
ある日、学校から帰ってきたユウが疲れた面持ちでこう言った。
「日本語の読み書きはともかくとして、生まれてからずっと親から日本語で語られてきたのだから、日本語のリスニングはさすがに大丈夫でしょう?」と思っていた。
しかし、日本の小学校に通うようになって分かったことは、リスニングですら不十分であるということだった。原因は次のようなものだった。
- 学校で使われる語彙と、家庭で使われる語彙にはかなり違いがある
- 1対1の親子の会話と、1対30(教師→クラス全体)の話し方はかなり違う
- 中には早口だったり、発音が不明瞭な子供もいる
英語で言えば、1対1の会話のハードルは低いが、グループカンバセーションになると一気にハードルが上がる。また家庭での日常会話と、スラング満載+ものすごい早口で話すティーンエージャーの英語の難易度は全然違う、といったらお分かりいただけるだろうか?
言語のスタイルはシチュエーションや話し手によってだいぶ変わる。家庭で使われる言葉は、そのほんの一部に過ぎない。親の話す日本語だけでは、不十分。
真のバイリンガルは可能なのか?
「言語は、その言語生活圏で暮らさないと本当には学べないのではないだろうか?」というかねてからの私の持論は、帰国してからさらに強くなっていった。
例えば、つい最近であるが、イギリスではうるさい人対して「シーっ!」と注意をすることがとても非礼にあたるとユウから教えられた。私たち親は気づかなかったことである。
それから、イギリス文化では、否定的なことを婉曲的に表現する傾向にある。これは、学校の英語の授業で習得できるというたぐいのものではない。
もちろん授業で習えば、婉曲的な言い回しはマスター出来るかもしれない。でも、それはあくまで表面的なことなのだ。婉曲表現は言わばイギリス英語の氷山の一角のようなもので、その根底にある、人との心理的距離の取り方、振舞い方は暮らしてみないと分からないことだと思う。
そのいい例が、アメリカ人とイギリス人の間でもしばしばコミュニケーションに失敗するということである。
イギリス人の教授がアメリカ人の学生に、控えめに論文の改善点を指摘したのだが、当のアメリカ人の学生は「OKをもらった!」と勘違いして、後で痛い目にあったという話が実際霧立の身近であった。
言語は文化、生活と切り離せないのだ。
複数の言語において、100%ネイティブと同じ温度で感じ、表現する、というのは、あり得ないことではないかもしれないが、相当な時間がかかることだと思う。
インタラクティブな言語環境が大事
「ユウはバイリンガルなのか?」
こう聞かれたら、私は「そうとも言えるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。英語のほうが強いんだけど、だいたいの日本語は分かる」と歯切れの悪い返答をすると思う。
でも、人によっては「バイリンガル」と判断すると思う。初めに書いたように、バイリンガルの定義は非常に幅があるのだ。
実際に厳密に100%同じレベルで2つの言語を操るバイリンガルはむしろ少なく、多くはどちらかの言語が優越している状態だ。
多くの言語学者によると、自由自在に複数の言語を操れるようになるには、生まれてから思春期の前までにその言語に日常的に接していないと難しいそうだ。
そのさい、言語はインタラクティブである必要がある。つまり、日常的に英語で会話していて、TVだけスペイン語で見ていても、英語とスペイン語のバイリンガルにはならない、という意味である。

確かに、ユウは家庭で日本語にさらされてきたけれど、多くの場合、彼は英語で返答していた。つまり、インタラクティブに日本語を学んでいなかったのだ。一方通行ではなく、双方向からの言語活動がバイリンガルになるには必要不可欠なのだ。
帰国後の取り組み
ユウが日本の学校に通い始めて、2か月が経った。まだまだ英語が優勢で、自主的に読む本は英語、映画も英語。でも、この短期間でもかなり日本語力も上達した。
この調子でいけば、2年くらいで日本語も同年代の子供たちに追いつくかな?と期待している。
その代わり、家ではなるべく英語で話すようにしている。親はネイティブではないので、時々細かい間違えをユウに指摘されているが…。
最後に、「バイリンガルの本当の壁」は、実は言語的なところより、居住国を変更した先での文化に馴染めないという要素の方が大きいと感じている。これについては、また記事を改めて書いてみたいと思う。