環境をコントロールするモンテッソーリ教育
モンテッソーリ教育は、子どもの「問題行動」に対して「~しちゃダメ」という否定的な態度を取らないので、ともすると「放任主義なのでは?」と誤解される。
しかし、決して何でも子どものしたいままにさせているわけではない。モンテッソーリ教育で子どもに与えている自由は常に一定のルールに基づいている。
例えば、子どもが食卓のテーブルで水の入ったグラスの中に手を突っ込んで、氷に触って遊んでいたとしよう。子どもは水や氷が大好きである。
大人は反射的に、「なにやっているの!テーブルが水だらけになるでしょう。汚いからやめなさい!」と問答無用で叱ってしまいがちではないだろうか?
モンテッソーリ教育では、食卓のテーブルでのマナーは重要視している。小さな頃から子どもにもプラスチック製ではなく、本物のグラスや陶器の食器を使わせ、物を丁寧に扱う態度を教える。
だから、テーブルでのそのような行為を放任することは決してない。その代わり、まずそのような行為がなぜ食卓で許されないのか説明し、それから思う存分そのような行為が出来る環境を別の場で提供するのだ。
例えば、食事が終わった後、トレーに氷と水の入ったグラス、それからタオルを用意して子どもに渡す。トレーがあるので、水がこぼれても大した被害にならない。
子どもは、大人に邪魔されることもなく好きなだけ「水と氷の実験」に没頭できるのである。そして、満足するまでやったら、自分でグラスを片づけ、濡れたトレーをタオルで拭くように教える。
子どもは思う存分好きなことに取り組める。大人も意図が分かっているし、子どもが自分で責任をもって片づけるので叱りつける必要もない。win-winの関係である。
子どもをコントロールするのではなく、環境をコントロールする。
マリア・モンテッソーリ
モンテッソーリから教えられた大切なことである。
「長いものを振り回す」問題
前回の記事に書いたように、長いものを振り回すのが好きなユウは、テニスとヴァイオリンを始めることになった。
ダイナミックに腕を動かすことで感じる物の重さに敏感になっているこの時期のユウにとって、テニスとヴァイオリンはもってこいだったのだ。本人は相当なやる気で練習に取り組んでいる。大変結構なことだ。
子どもをコントロールするのではなく、環境をコントロールし、敏感期の関心を適切な方向に向けたのは良かった。しかし、それで「長いものを振り回す」という問題が解決したわけではなかったのだ。
テニスコートでの問題
テニスのレッスンを見ていると、ユウはラケットでボールを打っていない時でも、素振りのような感じでしょっちゅうラケットを振り回している。
コートは広いと言えども、他の子どももいる。特にチビ・シャラポワのような小さな子どもの顔にでも当たったら大変なことになる。早速ユウに注意した。
「あんな風にむやみにラケット振り回していたら危ないよ。チビ・シャラポワみたいな小さな子の顔にでも当たったらどうするの?ケガしちゃうかもしれないよ?周りをよく見ないと!」
「わかったー。」
夏休みに入って、ユウは1週間集中のテニスコースに参加していた。いつもと違うメンバーで子どもの数も多い。そこで、「事件」は起きてしまったのだ。
終了時間を見計らって迎えに行ったら、ちょうどユウがコートの中を歩きながらコーチと話していた。そう、ラケットを軽く振り回しながら…。そうしたら、こともあろうにコースに参加していた中で一番年少の女の子の顔にラケットが当たってしまったのである。
火が付いたように泣き出す女の子。自分がしてしまったことに気づいて慌てているユウの様子が見える。何か言っている様だが、女の子は取り合わず泣きながらコーチに走り寄った。
アイスパックを取りに向かったコーチの足取りがゆっくりだったから、大きな事故ではないことが分かった。
幸い、傷が付くようなケガではなかった。コーチは「ちょっとしたアクシデントで、他の子のラケットが当たってしまったようです。」と親に説明。でも「加害者の親」として、私も何度も謝った。ユウも直接謝った。女の子の母親は娘を心配しながらも、「気にしないで下さい。」と言ってくれた。
今回はおでこにラケットが当たっただけで済んだが、もしもっと強く目にでも当たっていたら…と思うと背筋が凍った。
ヴァイオリンのレッスンでの問題
あまりにユウがヴァイオリンを習いたいというので、敏感期ということも発見したし、じゃ習わせるかということになった。
イギリスの多くの楽器店では、3か月間保険代も含めて42ポンド(6300円)で楽器を借りられるレンタル制度がある。いつまで続くか分からない初心者にはとても助かるシステムだ。
ヴァイオリンの先生にレッスンをみてもらう余裕は霧立家にはない。他にテニスやピアノ、水泳もやっているので時間的にも厳しかった。そこで、毎日私がレッスンをみることになった。
しかしある日、私がお手本を見せていたら、なんとユウは自分のヴァイオリンをブラブラ振っていたのである!!霧立は一瞬、目が点になってしまった。
振り回せるのは弓だけではなかった。ヴァイオリン本体まで振るとは、予想していなかった。何か少しでも長いものを手にすると、反射的に振り回したくなってしまうのである。
何かを確かめたくて、という感じではなく手持無沙汰だからただブラブラやってみたという感じ。長いものを振る時の手に伝わる重さを無意識のうちに楽しんでいるのだ。
「敏感期」の衝動、おそるべし。
自由とルールの確認
先ほども述べたように、モンテッソーリ教育は何でも許す放任主義ではない。自由は一定のルールの上にのみ許される。
テニスのルール
女の子の顔にラケットをぶつけてしまった日、ユウを含めて家族でこの件について相当話し合った。そこで決めたことは、次に周囲を確認せずにラケットをむやみに振り回したら、テニススクールはやめる、ということ。
これは相当厳しいルールだ。しかし何か大きな事故が起きてからでは遅いと考えた。
プレー中に不可抗力で接触してケガをさせてしまうのは、アクシデントだ。もちろんそれもケガはケガでゆゆしき事態なのだが、それは誰もが負っているリスク。不用意にラケットを振り回して人をケガさせるのとは全く違う。
しかし、テニススクールをやめるというのが、なにか「罰」のようにすべきではないと考えた。周りの人の安全に注意を払うことは、大切なことだ。それが出来ないようでは、テニススクールのような場所でテニスをすることは出来ない、とユウに何度も説明した。しかし、広い公園でテニスをやることを禁止したわけではない。
ヴァイオリンのルール
先ほども書いたように、モンテッソーリ教育では、子どもに「本物」を使わせる。プラスチック製ではないグラスや陶器、包丁、ノコギリなどなど。
食器が割れたり、多少のケガをするリスクを承知の上だ。もちろん、2歳児にノコギリは使わせないくらいの配慮はしているし、道具の使い方は慎重に指導している。結果的に大きなケガは起きない。
「本物」を通して、丁寧な態度、慎重な態度を養おうとしている。プラスチック製の食器を使っていたら、絶対壊れないかもしれないが、ものを丁寧に扱うことも教えるのも難しい。
ヴァイオリンは食器よりも高価だ。「次にヴァイオリンを振り回したらヴァイオリンをやめさせる」と言うことも出来るが、それはモンテッソーリ教育のやり方ではない。
ヴァイオリンをどう扱うのか、といったことをもっと教えるべきだと思った。ケースからどう取り出すのか、肩当てをセットの仕方、弓の毛を指で触らないためにどこを持てばいいのか、練習が終わったらどうやってしまうのか、クリーニングはどこに気を付けてやればいいのか。
こういった一連のことを、慎重で丁寧な態度で私が示す。そのことによって楽器の丁寧な取り扱いを学べるのではないだろうか。「ヴァイオリンを振り回しちゃダメ!」と直接の行動だけを注意するよりも、回りくどい。でも結果的に、楽器に対する丁寧な態度を包括的に教えることが出来る。
それに、楽器を丁寧に扱うことを教えることは、音楽への態度を培うことにつながっている。音楽は作品(曲)を通して自分と向き合い、それを表現すること。
その際、楽器はパートナーのような存在。パートナーに敬意を払い大切にすることは、「よい表現者」になるにはは不可欠だ。
霧立は、小さい頃から「楽譜は大切に取り扱いなさい」と教えられてきた。本能的に、音楽に対する尊敬が培われたような気がする。今でも楽譜に向き合うと、「教えて下さい」という真摯な気持ちにさせられる。
音楽教育は、究極的にそういったことではないか。どういう風にヴァイオリンを構えなさいとか、右手の肘の動かし方はこうですとか、そういうことだけ教えていても「音楽」にはならない。音だけは出せるようになっても。
ユウにはヴァイオリンを振り回すのをただやめさせるだけではなく、音楽に対する態度そのものを教えたい。楽器や譜面の扱いを教えるのは、そのいい機会だ。幸い、レンタルした楽器は保険に入っている。
まとめ
モンテッソーリ教育は、一定のルールの上に最大限の自由を子どもに与える。大人にとって「問題行動」と思えることも、ただ禁止するのではなく、環境をコントロールして子どもに自由にやらせる。
テニスは安全にかかわる問題だったから「即アウト」という厳しいルールにした。
ヴァイオリンでは、丁寧に楽器を扱うというルールを、様々な事がらを通して根気よく示していくという方法を選んだ。
「問題行動」を「~しちゃダメ」と言う形で修正しようとするのではなく、その背景にある態度を正しく培うように導く。回りくどくて面倒なのだが、子育ては根気強くいかねば。気の短い霧立には、大きなチャレンジである。
いかがでしたか?
我が家でもまだまだ失敗はあります。「~しちゃダメ!」と言う言葉がつい口から出てしまうことも。でも、思考というのは訓練です。「子どもではなく環境をコントロール!」「行動の中に潜んでいる子どもの本当の衝動はなに?」と考える癖をつけたいものです。
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