日本でも一時絶大な人気を誇っていたロシアのテニス選手、シャラポワ。
読者は彼女の今をご存知だろうか?
人気も実力も絶頂だった2016年、ドーピング検査で薬物違反が発覚し、出場停止処分が下された。しかし、その15カ月後にはコートに復帰するという特例措置がとられ、かなりバッシングされた。復帰後、コートの上では元女王の貫禄は失われ、もはや「過去の人」となってしまった感が否めない。
チビ・シャラポワとの初めの出会い
最近、ユウがテニス教室に通いだした。
ビギナーのクラスで、小学生1年生から4年生くらいの子どもが対象のクラス。子どもはユウを含めて4人。
初日の練習から、一目で「この子はスゴイ!」と思わせる子がいた。身長は100センチにも満たないような一番小さな女の子なのだが、体の動きが他の子どもと全然違うのだ。
コーチの出してくれるボールを打つ練習をしていたのだが、自分の番が回ってくると、いつでも動けるように小刻みに体を左右に揺らして構えている。コーチが教えたわけでもないというのに。
そして、誰よりも正確にボールを返すことが出来た。
やる気も勝気も他の子どもと違った。
時には他の子どもの順番を抜かして、一本でも多くの練習機会を得ようとしてた。
ユウはおっとりしているので、恰好のターゲット。時々順番待ちをしているユウの前にサッと割り込んでくる。親としては、ちょっと歯がゆい瞬間。
さて、このスーパーガール、ロシア人らしいと分かった。
練習が終わった後、付き添いのお父さんと何やらロシア語で話している。しかも、お父さん自身も本格的なテニスのラケットバッグを持っている。コーチとも親しそうに話しているし、もしかしたらテニス関係者なのかもしれない。
きっとお父さんからも教えてもらっているんだな、と思った。
金髪ロングヘア―をキュッとポニーテールでまとめている少女の姿は、あのシャラポワを彷彿とさせた。
この日から、私は勝手に彼女のことを「チビ・シャラポワ」と呼ぶことにした。
ロシア式スパルタ
ある日、練習に行ったらいつものコーチがいなかった。代わりで来ていたのは、若い女性のコーチ。
練習が始まった。
コートの上には一直線上にフラフープ、それから少し離れた所に三角コーンが置かれていた。子ども達は走っていってフラフープをくぐり、三角コーンの所でUターンをしてスタート地点まで戻ってきて次の人にタッチ。
俊敏に動けるようになる練習か?
しばらくして、チビ・シャラポワが遅れて来て練習に加わった。
次は、三角コーンにフラフープを投げ入れる練習。輪投げみたいな要領。
これは、一体何の練習だろうか?
よく分からない…。
しかも、お手本を見せているコーチも、なかなか出来ない。5回くらいやって、やっと1回入って子どもみたいに大喜びをしている。
コーチ、輪投げ成功率20%
コーチもなかなか出来ないことを、なんでやらせているのだろう…??
当然、子ども達は全然出来ない。
これは果たしてテニスの練習なのか?
次の練習メニューは、ペアになって向かい合い、投げられたボールを一回バウンドさせて取る練習。これを永遠とやっている。
時計に目をやると残り時間あと15分。いつまでこれをやっているんだろう。いつものコーチから申し送りがいっていなかったのかなあ。先週はサーブやバックハンドの練習していたのに、これじゃ初回の練習よりヒドイ…。
「ねえ、今日は全然まだラケット触らせてもらってないの?」
と、突然チビ・シャラポワのお父さんが私に聞きに来た。この日、彼らは珍しく練習に遅れてきたから、初めからラケットなしの練習をさせられているのかを私に確認したかったらしい。
「まだ、全然ですよ。ちょっと今日の練習は基礎的すぎますよねー。」
と私が言ったら、
「初めの10分なら分かりますよ。ウォームアップってことで。でももうずっとこんなことやっているなんて…。時間の無駄ですね。」
とお父さん、ちょっとイライラしている様子。
親のフラストレーションをよそに、この日の練習は本当にラケットを一度も触ることなく終了ー。
子ども達が戻ってきた。
(今日は時間とお金のムダだったなあ…。)と思いつつ、こんなことはイギリスではよくあること、と半ばあきらめていた。
そうしたら、空いているコートの壁際で、なんとチビ・シャラポワが一人、壁打ちをしているではないか。
「57..58..59…60….」
と数を数えている。ラケットを使えなくてフラストレーションが溜まっていたのは、親だけじゃなかったんだなあ、そりゃそうだろうなあ、と私は思っていた。
ユウと帰り支度をしていたら、チビ・シャラポワが戻ってきて何やらお父さんと話している。ロシア語だから全然分からない。でも所々で “one hundred”らしき言葉が二人の会話から漏れて聞こえてきた。質問口調のお父さんに対して、チビ・シャラポワは真面目に「one hundredなんちゃら~」と答えている。
(エッ…?!もしかして壁打ち100回はお父さんの命令??)
<霧立の想像したシャラポワ親子の会話>
お父さん:「壁うち、100回やったのか?今日のは全然練習になっていなかったからね。」
チビ・シャラポワ:「うん、ちゃんと100回やった。」
続いてお父さんが、”back hand”とか “fifty”とか言っているような気がした。エエエーッ??!!
<霧立の勝手な翻訳>
お父さん:「じゃあ、今度はバックハンド50回、やってきなさい。」
ちらっと見ると、チビ・シャラポワ、浮かない顔で何か言っている。そして二人はコートを去って行った。
バックハンドの壁打ち50回はどうやら免除されたらしい…。
しかし、恐るべしロシアのスパルタ。
帰り際、受付のところでチビ・シャラポワのお父さんが受付の人と何やら話している。
「アラン(いつものコーチ)は今日はいなかったんですか?」
と聞いているのが分かった。
(ははあ。さっきのレッスンの話だな、こりゃ。)
と思いながらも立ち聞きはよくないので、さっさと私たちは先に出た。
駐車場で手間取っていたら、シャラポワ親子が出てきたから、成り行きでちょっと話した。
お父さん:「今日のレッスンのこと、受付に言っておきましたよ。」
私:「確かに、あれはがっかりでしたね。ホリデークラブじゃないんだから。あの子たち、もうミニゲームくらい出来ますもんね。」
お父さん:「そうですよ!学校の体育の授業やホリデークラブじゃないんですよ。うちはテニスを習わせるためにお金払っているんです。こんなことが続くようだったら、うちはあのクラスを辞めさせる。あなたも言ったほうがいいですよ。僕だけだと、『たった一人の人の意見』としか受け取られないかもしれないからね。」
私:「そうですね…。もし次も同じようだったら私からも言っておきますよ。」
そんな会話をして、別れた。
しかし…ビックリした。
シャラポワのお父さんに、だ。
これまでもスイミングのクラスで、いつも学期の最後の日はいい加減な練習メニューの日がよくあったものだった。ただプールの中をぐるぐる泳がせるだけ、とか。泳ぎ方のアドバイスとか一切なし。
でも、見ている親は何も文句を言っている様子はなかった。私はせっかく来ているんだから、もっとちゃんと教えてもらいたいなぁと思っていたけれど、この国では誰もそんなことで文句を言わないんだと思って、諦めていた。
だから、チビ・シャラポワのお父さんが、たった一回の不適切な練習にも苦情を言ったというのは、衝撃的だった。そして、「あの話は本当だったんだ…。」と思った。
昔ながらの「ソビエトユニオン式ドリル」
最近テニス界で「Next Gen(新世代)」として注目されてきている選手の共通点として、「親がテニス選手」ということに加えて、「旧ソ連にルーツを持っている」ということがしばしば話題になっていた。(くわしくはこちら。)
シャポバロフ選手の場合
Next Genの一人であるシャポバロフ(カナダ)はこう言っている。
母のレッスンはものすごく厳格だった。基礎を大切にし、反復練習を何度も行なう。1分たりとも時間を無駄にすることを嫌い、「練習の1球目から集中するように」と母から言われてきた。
「1分たりとも時間を無駄にしない」、「練習の1球目から集中する」ー。1回の不適切なレッスンにも妥協しなかったチビ・シャラポワのお父さんは、シャポバロフのこの発言を私に思い出させたのだった。
5歳から母親からテニスの手ほどきを受けていたシャポバロフは、母親の教育メソッドを
昔ながらの「ソビエトユニオン式ドリル」
と表現し、母親自身がソ連で教えられてきた方法だったのではないかと、言っている。
アレクサンダー・ズベレフ選手の場合
2018年現在、レジェンドであるナダルとフェデラーの後ろにしっかりとくいついて行っているあの、アレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)の両親もまたソ連のテニス選手だった。
彼は幼いころから特に母親からレッスンを受けており、
僕の技術レベルはけっこう高いと思うけれど、それは母親が若いころに基礎を叩き込んでくれたから。特に僕のバックハンドは100%、母親の作品なんだ。
と明言している。「基礎を叩き込む」-彼がミスの少ないオールラウンダーであることの理由が分かるような気がした。
ちなみにズベレフと前述のシャポバロフの母親は1980年代にトップジュニアで対戦経験があるという。またアレクサンダー・ズベレフの兄、ミーシャ・ズベレフも相当な実力者である。
反復練習、基礎練習。ストイックな積み上げ式の英才教育。わりと伝統的な日本の教育と似ているかもしれない。「一流」になるには、欠かせないメソッドだと思った。
イギリスの教育はこれと正反対のルーズな感じなので、チビ・シャラポワとお父さんを見て「教育」についてまた考えさせられた。近いうちに、イギリスの教育についても書いてみたい。