小学校の時にあった「道徳の時間」。
つかみどころのない、ぼんやりとした柔らかいかんじ…。それなのに、どこか心に窮屈なかんじがしたのを覚えている。
我が家のユウが6歳になってから、毎年領事館から日本の小学校で使っている教科書が送られてくる。その中に道徳の教科書も入っている。
パラパラとページをめくってみてギョッとした。そして、読めば読むほどうんざりした気持ちになった。
イギリスにも「道徳の時間」らしきものは存在する。しかし、コンセプトが全く違うのである。
今日は、日英の道徳教育の違いを教材からさぐってみたい。
道徳教育は誰のため?
イギリスの「道徳教育」
イギリスの学校では「道徳」という言葉が実際に使われているわけれはないが、それに該当する授業が2種類ある。
宗教教育
一年に数回、キリスト教やイスラム教などの聖職者が学校を訪問し、それぞれの信仰に基づいた話をする。
どの宗教の教えを紹介するかは、学校ごとに在籍している生徒の宗教的バックグラウンドによって判断される。入学時に提出する個人データの中に、「宗教」を記す欄があるのだ。
ユウの学校では、キリスト教が一応多数派らしく、年に数回近所の教会の牧師が来る。また、親がその話を子どもに聞かせたくない場合、子供はその時間は教室にいなくてもよいことになっている。
これは、多様性を配慮した結構柔軟な姿勢だと思う。
Resilience
宗教教育とは別に、もう一つ「道徳教育」として取り入れられているのが”Resilience”(「立ち直る力」(←勝手に霧立が翻訳した)を高めるためのサポート。
「立ち直る力」というたった一つのトピックを、なんと小学校7年間かけて学ぶ。
- 落ち込んだ時
- 失敗したとき
- 悲しい時
- 友達と喧嘩した時
- 親とうまくいかない時
- 怒りをコントロール出来ない時
……
というように、子どもの人生にも「立ち直らなければならない時」「クシャクシャした心をなだめなければならない時」がいっぱいあるのだ。
宿題でも時々、日常の具体的な体験から”Resilience”について考えさせる課題が出る。例えば今週の宿題はこんな感じだ。(1年生~7年生まで共通の課題。)
スキッパーは落ち込んでいたので、何もやる気がしませんでした。でも、友達がサイクリングに誘ってくれたことで「楽しめることがたくさんあると、気晴らしになる」ということに気付きました。新しいことを始めるのは勇気がいるけれど、それに取り組むことは自信にもつながるのです。
【家庭で話し合いましょう】
あなたが(親)落ち込んでいる時に気晴らしとなる趣味を、子どもに話してあげましょう。また、体を動かす新しい趣味に取り組んでみましょう。
これは「落ち込んでいる時に体を動かすと、気晴らしになる」というレッスン。ちなみに、この宿題は「やりたくなかったらやらなくてもいい」と言われているらしい。
このように”Resilience”の授業は、
- 子どもの自律
- ポジティブな思考
- 困難を克服する力
といった子どものメンタルサポートを目的としている。
日本の「道徳教育」
では、次に日本の「道徳教育」を見ていこう。日本領事館から送られてきた『わたしたちの道徳』(小学校一、二年)を参考にする。
全体は4つの大きなポイントに分けられている。
1.「自分を見つめて」
- きそく 正しく 気もちの よい 毎日を
- 自分で やる ことは しっかりと
- よいと 思う ことは すすんで
- すなおに のびのびと
「よいと思うことはすすんで(自律的に)」と言っているのだが、その時点で押し付けている(他律的)。
2.「人とともに」
- 気もちの よい ふるまいを
- あたたかい 心で 親切に
- ともだちと なかよく
- お世話に なって いる 人に かんしゃして
「あたたかい心をみんなにとどけましょう」と教科書に書いてある。そもそも「あたたかい心」って曖昧でなんだかよく分からないし、心の様態って人に言われてそうなるものなのだろうか?

「あたたかい心」って?心って、どうやって「あたたかく」するのかな…?
3.「いのちに ふれて」
- いのちを 大切に
- 生きものに やさしく
- すがすがしい 心で

詩は自由な心から生まれるもの。「感じ方」を強要する道徳教育と詩は正反対なのでは?
4.みんなと ともに
- やくそくや きまりを まもって
- はたらく ことの よさを かんじて
- 家族の やくに 立つ ことを
- 学校の 生活を 楽しく
- ふるさとに 親しみを もって
はぁ…。もう書いているだけで息苦しさが増してきた。
「一生けんめいに しごとを すると、気もちが よいですね。はたらく 人の 顔は、かがやいて います。」
そうかね…?
帰宅時の下り電車は、疲れた顔の働き人でいっぱいだったけど…。一体どこのおとぎの国の話だろうか?(だいたい「気もちがよいですね」の「ね」ってなんだ?押し付けがましいわ…。)
もちろん、仕事本来の尊さは分かる。でも、現実はそんなに甘くない。大変なことの方がむしろ多い。
とにかく感じ方にしろ態度にしろ、一見ソフトで無害な形なのだが、同調圧力がハンパない。
霧立は今大人だから、教科書を作成した人の意図が見える。でも、子供だったら批判的に考えることもせずに、教科書に書いてあることが「あるべき心の状態」「模範行動」と受け取ってしまう可能性が高い。
道徳教育は誰のため?
イギリスでは子どものメンタルヘルスへの関心がとても高い。だから道徳教育は、子ども自身のメンタルサポートのためにある。
子どもによって、立ち直る方法は様々だ。「答え」は一つではない。それを探させるのが道徳教育の目的になっている。
一方、日本の道徳教育は子ども自身の益のためというより、社会性に強調点が置かれている。
- 約束や規則を守る
- 生活を正す
- 挨拶をしっかりする
- 友達と仲良くする
- お世話になっている人に感謝する
- 社会に役立つ人間になる
- 郷土愛
息苦しさの原因はここにある。これを授業で教師から言われるだけでもうんざりしそうだが、成績の評価に加えるというではないか。
実際、点数化するわけではないが担任が各項目についてどれだけ生徒が成長したかを見定め、文章という形で評価するという。
しかし、心の中の思いまで他人が見定められるだろうか?特に言葉が足りない子どもの場合、真意が伝わらないで教師に誤解されてしまったケースも。
話を元に戻そう。とにかく、日英のこの鮮明な違いは、そもそもの教育観の決定的な違いを如実に物語っていると思う。
イギリスの教育は子ども一人一人の才能を伸ばすことに主眼が置かれている。もちろん、子ども個人の利益が結果的に社会を健全にすることは言うまでもない。しかし教育は子ども個人の権利と考えている。
一方日本は、子どもを社会、つきつめれば「国家に役立つ人材」に育てたいと考えているのではないだろうか?事実、中学校の道徳教育では「日本人として国を愛する心を育てる」ことがその目標になっている。
霧立は決してイギリスの教育に何から何まで賛成しているわけではない。がっかりさせられることもたくさんある。
でも、子どもを一人一人をユニークな存在とし、その自由な精神を尊重しているところは素晴らしいと思う。
日本の子どもはイギリスの子どもに比べて公共マナーはあると思う。道徳教育の一定の効果と言えるかもしれない。ただ、価値観や感じ方の押し付けはいかがなものかと思う。
ここがスゴイよ日本の学校!【その② 掃除教育】
今回はそれぞれの道徳教材から比較をした。霧立は実際の日本の授業の様子を知らないので、もしご存知の方がいたらぜひ教えて頂きたい。
精神的な苦労が低年齢化し、小さい子から大学生まで多くの学生たちがその苦労を感じている今、道徳のようなクラスは、霧立さんがいうようなイギリスや私の知っている限りのアメリカのような、教育に使ってくれるとありがたいと思います。
私は東京で主にそして福岡で2年ほど育ちました。東京に住んでいたときの道徳は大体道徳の授業をせず、他のことに使われていました。何してたの?ときかないでください、思い出せないので。福岡に引っ越して、道徳の教科書をもらい、差別に関する話、教育がいっぱい載っていることに驚きました。在日韓国人や肉体労働者への差別はしないようにという趣旨のものでした。住む場所によって道徳の扱いがこんなにも違うのかと、今になって考えています。
柴犬エラさま
いつもコメントをどうもありがとうございます!
東京と福岡の道徳教育の違い、興味深く思いました。
確かに大学の時に福岡出身の人がいたんですが、道徳教育の話になった時に、同じようなことを言っていました。
特に、部落差別のことをよく取り扱ったと聞きました。
東京では逆にあまり馴染みのない話かもしれませんが、西日本では部落が身近だったそうです。
今だったら、むしろ外国人差別(特に韓国人や中国人)について学校の道徳教育で取り扱うべきでは?と柴犬エラさんのコメントを見て思いました。
国指定の教科書ではなかなかそこまで期待できませんかね…。
霧立灯