【Remembrance Dayと赤いポピー】私がイギリスで一番嫌いな日
毎年11月になると憂鬱になることがある。それは、イギリス全体で記念される”Remembrance Day”があるからだ。
“Remembrance Day”(リメンバランス・デー)とは日本語にすると「戦没者追悼記念日」。それだけなら、どこの国でもありそうなこと。しかし、なんとなく愛国主義の強要、そしてどこか戦争を美化する空気が感じ取れる。私には、ちょっとそれが息苦しい。
今日は、ちょっと「斜め」からみたリメンバランス・デーについて書いていきたい。
リメンバランス・デー
歴史
第一次世界大戦が、1918年11月11日午前11時に終結したことを記念して、翌年からこの日がリメンバランス・デー、戦没者追悼記念日となった。
また現在では、第一次世界大戦だけでなく、第二次世界大戦、そして1945年以降の全ての戦争でイギリスのために命を落とした、または負傷した兵士に敬意を表する日となっている。
何をするの?
11月11日 に一番近い日曜日(リメンバランス・サンデー)の午前11時に、戦没者記念碑のあるロンドンのCenotaph (セノタフ)で、音楽の演奏、戦没者を悼む詩の朗読に続いて2分間の黙とうが捧げられる。女王を初めとする王族や政治家も参加。
またセノタフだけでなく、イギリス各地で集会が開かれる。
赤いポピー
第一次世界大戦で、ヨーロッパの激戦地となったフランダース。戦闘が止んだ後、荒れ野原には赤いポピーだけが一面に咲いたという。
その地で従軍していたジョン・マクレーは戦闘で親友を亡くし、一面に咲いたポピーの花から着想を得て「フランダースの野に」という詩を書いた。
その後、詩は出版され世に広まり、赤いポピーは戦死者を悼む象徴になった。その後(1921年)、イギリスのために命を落とした兵士、負傷者への基金を集めるためのアイコンとなり、スーパーや街角で赤いポピーの造花が売られるようになった。2016年には4700万ポンド(約70億円)集められた。
何が問題なのか?
愛国心の「強要」
11月に入ると、胸に赤いポピーを飾る人が一気に増える。テレビのアナウンサー、政治家、サッカー選手、映画俳優など、人前に立つ機会の多い人はほぼ全員つけている。ここまでイギリス人が一つになることはないんじゃないか?と思うくらいの着用率。
そして、そういった社会の要人や国民的スターたちがポピーを付けないと、毎年バッシングが起こる。ニュースキャスターのJon Snowは、ポピー着用を拒否していることで有名だ。彼は個人としてプライベートではポピーをつける。しかし視聴者から「ポピーをつけるべき!」と要求されるのは「ポピー・ファシズムだ」としてテレビでは着用を拒否している。
イギリス軍に攻撃された側の人たち
また、サッカー選手のJames McCleanも試合でユニフォームにポピーを付けることを拒否している。
彼は北アイルランド、デリー出身。1972年、北アイルランドのデリーではデモ行進中の市民28名がイギリス陸軍落下傘連隊に銃撃され14人が死亡するという「血の日曜日事件」が起きている。
マクリーンは、第一次、第二次世界大戦の戦没者のためだけならポピーは付けると言っている。しかし、故郷でではいまだに事件の闇の中で暮らしている人たちがいることを考えると、とてもポピーは付けられないと言っている。
私にとってポピーを付けることは、一連の(北アイルランドの)紛争、とりわけ「血の日曜日事件」で命を落とした罪のない人たちに敬意を払わないという表明になるのです。私は過去に、第一次、第二次世界大戦の戦死者に敬意を払っていないと批判されましたが、もし私がポピーを付ければ、私の人々(北アイルランド)に対して敬意を払っていないということになるのです。(拙訳)
彼は丁寧に自分の立場を説明した。しかし、それにも関わらず様々な嫌がらせを受け、「元英兵」を名乗る男から「ジェイムズ・マクリーンは射殺して、セノタフで引きずり回されるに値する!」とTwitterで殺害予告され、警察が捜査に乗り出した。
マクリーンだけではない。昨年(2018年)は、マンチェスターユナイテッドのスター選手、Nemanja Maticもポピーをつけない決断をした。
彼はセルビア出身の選手で、12歳の時NATOの空爆を受けるという恐怖体験をしている。イギリス軍も加わっていたその攻撃により、故郷は破壊されたという。彼もまた、自国の犠牲を悼むゆえ、ポピーを拒否しているのだ。
政治的な問題
イラク戦争やアフガン戦争の是非を問う人たちの中にもポピーを着用しない人たちもいる。なぜなら、リメンバランス・デーは第二次世界大戦以降の全ての戦争におけるイギリス人兵士の犠牲を追悼し、「自由のために戦った英雄」として尊敬を表する日だからだ。
イラン戦争とアフガン戦争が「イスラム国」(IS)のような過激テロ組織を生み出し、増長させたことは否めない。「テロ撲滅」を大義名分に始めたアフガン戦争だが、戦争が始まった2001年よりかえってテロは増え広がった。ヨーロッパではここ数年、毎年ISのテロで多くの人が命を落としている。
リメンバランス・デーは「政治的な記念日ではない」と公式見解では言われているが、戦争が政治的でないはずがあるだろうか?国家主導でない戦争などないはずだ。
国家の命令により従軍し命を落とした人たちの犠牲、家族の悲しみ、痛みは計り知れない。しかし、国家全体でイギリス兵を「私たちの自由のために犠牲になった英雄」として覚えることは、原因となった戦争の是非を覆い隠し、戦争を肯定する雰囲気すら生み出す恐れがある。
退役軍人の中にも、次のように政治的な理由をもとにポピー着用を拒む人がいる。
I am against wearing of the poppy b/c it has been co-opted by politicians to justified our present wars on terror that are eroding democracy
— Harry Leslie Smith (@Harryslaststand) 2014年11月2日
私はポピーをつけることに反対する。なぜならポピーは目下行われているテロとの戦争を正当化することに政治家に利用されていて、それは民主主義を蝕むからだ。(拙訳)
リメンバランス・デーのファシズム的側面
思想の自由の否定
私はイギリスでは外国人なので、このリメンバランス・デーの水面下での「波紋」を傍観しているだけだ。しかし、それでも数年前は家にまでポピーの募金活動のボランティアが来て、嫌な思いをしたこともある。
自分は日本人で、イギリス兵の犠牲は大変気の毒だとは思うけれど、イラク戦争やアフガン戦争にも反対だし、この行事に参加したくない、と丁寧に伝えた。しかし、この人は第二次世界大戦で日本が「敵国」だったことも知らなかったのか、
「あなたは自由のために犠牲になった人たちやその家族をサポートしたいと思わないのですか?平和を願うなら参加すべきですよ」
とさんざん言って、最後は憤慨して帰っていった。チャリティーの募金活動で、ここまで「強要」するのは異常だと思った。
ユウの通う公立小学校でも、11月に入ると最上級生が募金箱を持って毎日(!)下級生のクラスを授業中に(!)回ってくるという。子供にまで何というプレッシャー。上級生がではない。それをやらせる学校側がだ。
また、最近は、政治家やテレビに出る有名人だけでなく、一般人でもポピーをつけていないと職場などで「なぜつけないのか?」と暗に批判される人もいるという。イギリス人は控えめだ。失礼な質問はめったにしない。そのイギリス人がそういうことを聞くというのは、相当ポピーをつけない人に我慢がならないのだろう。
しかし、「自由のために戦った…」といって「自由」を最高の人権と考えるなら、どうして「ポピーを付けない自由」を認めないのか?個人の思想の自由より国家を優先するのは、ファシズム的だ。
攻撃的な態度
「ポピーは平和のシンボル」と言いながら、ポピーをつけていないサッカー選手に殺害予告をしたり、嫌がらせをしたりするのは、どう考えてもおかしい。ポピーを付けない人たちは、ポピーを付ける人たちの考えを尊重しているのに…。
このように、国家に批判的な立場をとる人たちに攻撃的な態度で迫るのも、ファシズム的だ。
私たちは、一体なにを”Remember”すべきなのか?
リメンバランス・デーは、イギリスのために戦争で犠牲となった人たちに敬意を表し、その死を悼むことだけでいいのだろうか?
もちろん、戦争で尊い命を落とした人は本当に気の毒だ。残された家族の人生は全く変わり、心の痛みは一生続くだろう。しかし、その犠牲を国民全体で悲しみ、感傷的な愛国主義に慰めを得て終わってしまってはならないと思う。
戦争の犠牲者はイギリス兵士だけでない。敵も味方も命を失った人はみな、その戦争の犠牲者だ。戦死したイギリス兵士は、おそらく「敵」の命も奪っている。誰かの夫、誰かの父親、誰かのフィアンセの命を。自分とは何の関係もない、見知らぬ人の命を奪い合わなければいけない戦争は、この世の地獄だ。
全ての戦争は外交の失敗だ。戦争は人類の愚かさのきわみ。ナチス政権打倒のために第二次世界大戦を正当化する人は多い。しかし、第一次世界大戦のベルサイユ条約で、あそこまでドイツを過酷な状況に追い込まなかったら歴史は変わっていただろう。
リメンバランス・デーは、戦争の犠牲となったイギリス兵に敬意を表すだけでなく、全ての戦争の犠牲者の死を心から悼み、政治家と私たちが歴史の過ちを覚える日であるべきだ。ポピーをつけるつけないで争っているようでは、世界の平和は遠い。
犠牲となった兵士とその家族には、国がしっかりと補償をすべきだ。ポピー基金のような個人の意思か「半強制性」に支えられているチャリティー任せにするのは、理解が出来ない。
政治家はリメンバランス・デーの愛国主義一色になるこの日、胸に飾ったポピーを隠れ蓑にしてその責任を逃れているように見える、というのは果たして言い過ぎだろうか?
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リメンバランスデー、恥ずかしながら今日初めて知りまして、ググったらこちらにたどり着きました。大変考えさせられ、また同感いたしました。勉強になりました!ありがとうございます‼
かおりさま
記事を読んでいただき、またコメントまで残して下さり、本当にどうもありがとうございます!(感激…!!)
日本人にとってはあまり馴染みがないですよね。私もイギリスに住むようになって知ったんですよ。
日本でも似たようなところでは、靖国問題でしょうか。戦没者の弔いと愛国主義は切っても切り離せないところがありますね。
靖国はもうちょっと複雑ですが…。
調べていたら、ドイツは他国と事情がちょっと違って、第二次世界大戦のあと、全ての戦争の犠牲者の死を悼む機会を設けたらしいのです。しかし、ユダヤ人側がドイツ人と同じ場所では嫌だと反対したんですって。まあ、ユダヤ人の気持ちも分かりますよね。
結局、ユダヤ人の犠牲を悼む追悼施設は別の場所に作ったそうです。
ナチスのやったことはこの上なく酷かったけれど、ドイツの徹底した反省の姿勢は見習うべきところだと思っています。
これからもどうぞ当ブログ、The Lighthouse Keeperをよろしくお願いいたします。
霧立灯