海外旅行に行った人は、現地の女性のメイクの仕方が日本人女性のそれと違うことに気が付いたことがあるかもしれない。
初めは、そもそもの顔の作りが違うからだと思っていたが、そうではない。顔立ちは日本人とそれほど変わらない東アジア圏の女性たちも、日本人女性とは違ったメイクをする。
実はこれは、美意識が国によって異なるからなのだ。今日はイギリス人の美意識について書いてみたい。
美しさの条件
色が白くないこと
「知ってる?ディアナのうち、二人目が生まれたのよ!その赤ちゃんがね、すっごい美しいのよ。オリーブ色の綺麗な肌でね…」
友人と話していた時のことだ。
(オリーブ色の肌??)
そんな人間がいるのか?とっさに私の脳裏に浮かんだのは……
超人ハルク。

大量にガンマ線を浴びてしまった結果DNAに変調をきたし、激怒すると緑色の大男に変身する体質になってしまったハルク。30年以上前のアメリカのテレビドラマ。幼稚園児だった霧立の記憶に強烈に残っている。
「超人ハルク」と美しい赤ちゃん……どう考えても結びつかない。
思わず、眉をひそめて、
「オリーブ色の肌…?」
と聞き返してしまった。
どうやら、「オリーブ色の肌」というのは、黄色とブラウンの中間くらいの肌の色だと分かった。ディアナはアフリカ系黒人で、夫君は白人。二人ともモデル出身の美男美女カップル。なるほど、美しいオリーブ色の肌をしたベイビーになるわけだ。
そういえば子どもの頃に読んだ『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作)に出てくるヒーロー、「アトレーユ」も「オリーブ色の肌をした誇り高い少年」と描写されていたことを思い出した。
どうやら「オリーブ色の肌」というのは褒め言葉らしい。
一方、色の白さはこの国では決して褒められたことではないのだ。これには初め驚愕した。いや、大げさではなく。だって、どれだけこれまで「美白」に憧れお金費やしてきたかって…。(男性陣、美白商品は高いのですぞ!)
ある時、夏休みにフランスへ旅行に行く友人と話をしていた時のことである。
友人:「フランスに行ったら恥ずかしいわ。こんな白い手足をさらさないといけないんだもん。」
私:「え?色が白くてきれいじゃない?!なんで?!」
友人:「えーっ?!こんなのグレー(灰色)って言うのよ!恥ずかしわ!あっちの人はもっと健康的なブラウンでしょ?アカリの肌の色だって健康的でうらやましいわ。私たちのはグレーで不健康!」
あの透き通るような肌の白さを「灰色」と表現するのか…。衝撃的だった。
どうりでこちらには美白商品がないわけだ。この国で「美白」(ホワイトニング)といえば、それは歯のホワイトニングを指す。(歯の白さは重要だ!)
短い北国の夏が到来すると、人々は競って公園で寝そべって肌を焼く。中には一応サンクリームは塗っている人もいるが、それは皮膚がんの予防であって「日焼け止め」とは考えていない。商品名も “Sun Cream”である。
帽子もかぶらずにサングラスをする。それでも私はこれ以上「健康的な肌色」になるのは御免なので帽子をかぶっていたら、友人から
「帽子なんてかぶっているから、観光客かと思った!」
と言われる始末。
日傘に至っては見たことがない。雨でも傘をささない人たちだから、太陽の照っている時に傘をさすという発想があるはずもない。
この国では色の白さは「不健康」と見られ、決して「美肌」の条件ではないのである。美白至上主義の日本人には驚きだが、彼らが憧れるのは南ヨーロッパ人の小麦色の肌らしい。
頬骨が高いこと
ある日ファンデーションを買うために、Boots(ドラッグストア)に立ち寄った。コスメカウンターに知り合いがいたから、ファンデーションの色合わせをお願いした。
ファンデーションを私の顔に塗ってくれている時、またしても美的感覚の違いに驚くことになる。
彼女:「あなた、素敵な頬骨持っているのね!」
私:「えー、私、自分の高い頬骨が大嫌い!」
彼女:「何を言っているの?!この国ではたくさんの人が、頬高に見せるためにどれだけお金を使っているか知ってるの?!ねえ、チーク入れてみましょうよ。絶対素敵だから!」
私:「えー、やだやだ。頬高が強調されるから、やめて~。」
彼女:「あなたは、全くとんちんかんだわ!こんな素敵な頬骨だっていうのに!」
初めは彼女がお世辞で言っているのかと思った。でも検索してみたら、頬高は美しさの重要な条件として色々なところでもてはやされていたのだった。
たとえば、このお方。頬っぺた、頬高を通り越して、とんがってますけどーっ!!
日本人の理想とする、つるりとした卵型の顔とは全く違うのだ。しかし、なぜ頬高が美しさの条件なのだろう?
頬高は成熟した女性の魅力
頬高が美しさの条件とされるのは、それは成熟した女性の魅力だからだという。確かに、頬骨の高い子どもはいない。丸顔だった子ども時代が終わり、思春期を過ぎると顔は長くなり、同時に頬骨も出てくるのだ。
これは「ネヴィル・ロングボトム現象」とまで言われている。『ハリーポッター』の中で冴えない丸顔の少年ネヴィル・ロングボトムを演じていたMatthew Lewisは大人になってすっかりハンサム・ガイになったからだ。
頬高は「信頼性」の象徴
また、ニューヨーク大学とヨーク大学の研究によると、人々は頬骨の高い人に信頼できるという印象を持つ傾向があることが分かった。
脳にモニターつけた被験者に1000人の顔写真を瞬間的(1秒以下)に見せ、認識以前に発生する脳神経の反応をみる実験A。
別のグループの被験者に同じく1000人の顔写真をじっくり見せて、その印象を答えてもらう実験B。
実験Aと実験Bの両方において、頬骨の高い人に「信頼性」を見い出す結果が出たのである。特に実験Aの結果からは、無意識に頬高の人に対する信頼性が被験者たちに備わっていることを証明したという。
同じ実験を日本でしたら、違う結果が出るかもしれない。
ありのままで
結局、美的感覚なんて普遍的じゃないんだ、ということがよく分かった。人がどう思おうと、国境をまたげばその価値観はひっくり返る。
そのたびに自分の価値観まで変えていたら、「自分の顔」がなくなってしまう。自分というものがなさすぎるだろう。
霧立は、「美白」にこだわらなくなった。自分の肌の色も前より好きになった。自分の頬骨も気にならなくなった。イギリスでそれがもてはやされているからではない。ありのままでいいと思ったのだ。普遍的でない価値観に振り回されるなんて、バカらしいと思ったからだ。
自分の持って生まれた肌や髪の色、顔の形をそのまま受け入れる。コンプレックスでそれを隠そうとしていた頃よりずっと、心が軽くなった。自分の生まれつきの容姿が受け入れられないなんて、残念なこと。
あなたの容姿のコンプレックスも、他の国では美点かもしれない。そう考えると気楽にならないだろか?
それに40過ぎたらその人の生き方が顔ににじみ出てくる。(お、恐ろしい…。)心を砕くなら、内面の成長にこそ、と思わされた。しかし、それも外面のためにそうするなら自家撞着に陥るだろう。外面ばかり気にしていたら、内面の成長はのぞめない。修行僧のような心境の霧立であった。
日本独特の美的概念「カワイイ」についても書いてみた。ソフトで一見無害な「カワイイ」が、実は女性を不幸にする元凶なのでは…?