
最近、気候変動問題で世界中の関心を喚起した、グレタ・トゥーンベリ( Greta Ernman Thunberg )さん。ところが、一部のメディアが彼女の足を引っ張るために、彼女がアスペルガー症候群であることを書き立てた(彼女は初めから公表していたのだが)。
わたくし霧立灯は、グレタさんがアスペルガーと知った時、正直何とも思わなかった。「アスペルガー」という情報は、私にとって彼女に関する膨大な特徴の1つでしかなかったからだ。私にとっては、例えば「彼女は寒がりだ」という情報と、大して変わらない程度のことなのだ。(彼女が本当に寒がりなのかは知らないが。)
もちろん、障がいには「寒がり」というレベルの特徴とは比べ物にならないくらいの苦労が、本人や家族にあることはよく分かっている。私が言いたいのは、障がいがあるからといって、それが私たちとその人を線引きする属性には全然ならないし、その一点をことさら強調する意味は全く分からないということだ。
なぜだろう?たぶん、それはこれまでの私の人生の中で、発達障がいや身体的な障がいを持っている人が身近にいた事と関係しているかもしれない。
息子・ユウにも、アスペルガーの友達がいる。今日は、その友達と、彼を支えるクラスの取り組みについて書いていきたい。
アスペルガーという発達障害
アスペルガー症候群は、自閉症の一つのタイプだと言われている。東京都自閉症協会によると、アスペルガー症候群は次の3点によって診断される。
- 他の人と社会関係を持つこと
- コミュニケーションをすること
- 想像力と創造性
???
なんだかよく分からない…。では具体的に考えてみよう。
アスペルガーの人は、相手の気持ちを汲み取って行動したり、人間関係を築くのが苦手であることが多い。だから太っている人に向かって、「太っているね」などと正直に言ってしまったりする。
また、回りくどく長々と話すため、人と円滑なコミュニケーションが取りずらい。相手が何をどの程度知りたいのか?を把握するのが苦手なので、相手の状況を考えずにノンストップで話してしまう傾向があるようだ。
自閉症との違いは、知的には問題がなく(むしろ秀でている場合もある)、ブツブツ独り言を言ったり、体をゆらすなどの行動もめったに見られないという点。しかし、人によって現れ方は様々で、一つの型で定義できない難しさがある。
リオ君の場合
さて、息子のユウが通うのは、スコットランドにあるごく普通の公立小学校。ユウは現在9才だが、6才の時からずっと同じクラスにいるリオ君という男の子がいる。
リオ君は、サッカー好きで、とても聡明で、自己主張がはっきりしている、いたずら好きの男の子。ユウの仲のよい友達だ。
リオ君は、時々自分の思い通りに行かないことがあると感情をコントロール出来なくなり、暴れてしまう。 そのため、2年生の時はリオ君が癇癪を起すと彼一人を教室の残し、クラス全員が校庭に出ることが時々あったそうだ。(その時のことはこの記事に書いてある。)

リオ君は、自分の思い通りにいかないことがあると、感情を爆発させてしまう。
実はこのリオ君がアスペルガーだったと知ったのは最近のこと。それを聞いて、以前の「癇癪事件」のことも、とても納得がいった。
「仲間で支え合う」という学校の対応
今年に入ってから、担任の先生がリオ君をサポートするグループを作った。担任が、サポートしてもらいたい友人をリオ君本人に打診したら、ユウともう一人、ルカ君という男の子の名前があがったという。この3人は、日ごろから仲が良く、休み時間はいつも一緒に遊んでいたらしい。
1週間に1度、担任と3人の子どもたちが、他に誰もいない教室で話し合いをする。予想外のことが起きた時に、どうパニックにならずに対処できるか、みんなで考えるそうだ。
また具体例をもとに、他の人が受ける感情について話し合う。「〇〇されたら、こんな気持ちになるんだよ」というように、ユウやルカ君がリオ君に説明するそうだ。
これは、1年間続けられる。前年は、同じクラスの自閉症の女の子が同じようにグループサポートを受けていたという。
私は、これはとても素晴らしいことだと思った。子ども同士で支え合う体制を教師が作っているからだ。日本だったら、学習障害のある子は、カウンセラーや親、担任など「大人任せ」にされるケースが多いと思う。
実際、日本の学校にも支援チームなるものはあるようだ。しかしそれは、「特別支援コーディネーター」という教師が窓口の、担任、校長、教員、養護教諭から構成されている全て大人のチームなのだ。

大勢の大人に囲まれる子ども。
でも、これではその子を他の子どもたちから切り離すことにならないだろうか?子どもはには「子どもの社会」がある。だからこそ、子どもの社会で受け止められ、支えられるというのは、とても大事なように思う。
しかも、リオ君の場合、担任は「誰にサポートしてもらいたいか?」を彼自身に指名させた。彼は、いつも一緒に遊んでいる心を開ける友達を選んだのだ。子どものことを個人的に良く知らない校長や他の教員から受けるサポートとは、かなり違うはずだ。

仲の良い友達にサポートされるリオ君。
もちろん、リオ君を初めとする学習障害を持った子どもたちは、定期的に医師や専門のカウンセラーに会っている。そこで得た情報や指導を親が教師たちと共有し、学校でどういうサポートが出来るか話し合っているはずだ。
境界線を引かない
リオ君のサポートグループは、ユウにとっても大切な経験だと思っている。冒頭でも触れたが、私は障がいを持った人の障がいをクローズアップして見ない。それは、子どもの頃から障がいを持った友達が身近にいたからだと思う。
中学高校の6年間を共に過ごしたミクちゃんという友人がいる。彼女はとても小さかった。高校生になっても、身長は1mくらいだったように思う。
でも、ミクちゃんは明るく前向きで、小さいからという理由で何かを諦めたりしなかった。実際、ほとんどの事を私たちと同じように出来た。
時にサポートが必要なこともあったが、周りの私たちは自然と彼女をサポートした。それは特別扱いでも何でもなく、当たり前のことだった。彼女のことを私たちと違う、と考えたことはなかった。
障がいをクローズアップして見ないことと、障がいに気付かないことは全然違う。それは障がいを理由に、自分とその人の間に境界線を引かないこと。むしろ、その人が一緒にいられるように、その人のニーズを把握してサポートすることなのだ。
障がいに目を向ける前に、一人の人間としてその人を見る。学校で障がいを持った仲間をサポートすることは、子どもたちにとってそのような姿勢を教えてくれるはずだ。
また、サポートする子どもたちも、障がいをもっている友達だからこそ見える世界、彼らのたくましさに触れて学ぶことが絶対にあるはずだと思う。
いかがでしたか?
ちなみに、「どんな時間にサポートグループを開いているの?」とユウに聞いてみると「みんなが全校集会に行って校長先生のお説教を聞いている時間ダヨ!」と教えてくれました。あとは宗教の時間に、他の空いている教室に行ってやることもあるらしいです。
「なるほど…。校長先生のお説教聞くのよりずっといいね。じゃあ、どんな例を使って話し合っているの?」と聞くと、
「ミスター・ビーンだよ!」
と教えてくれました…。確かに、自分の思い通りにならないとミスター・ビーンは怒ってひどいことをやらかすのですね。これが先日の話し合いで使われたムービーだそうです。
子供たちが助け合って一緒に学んでいくって、すばらしいですね。お子さんにどの子にお手伝いしてもらいたい?っていいですね。私の在住するアメリカの地域でも、障がいのあるこのお手伝いは大人がすることが多いですね。私も学校からの依頼、紹介でこの4年間で3人の高度自閉症を持った子供達のカウンセリングをしてきました。数年前に改新されたメンタルヘルスのマニュアルでは、アスパーガーという分別がなくなり自閉症の定義の幅が広まりました。
大学出てすぐの職場は、主に自閉症を持つ子供たちの、寄宿学校でした。重度の障害がある子からアスパーガーと診断された子まで6人くらいの子を大学出たてのほやほやなカウンセラーたちがお世話しました。
私は子供の頃、障がいを持った人たちを怖いと思いましt。差別してしまったこともあります。いま、その時のことを反省し、職場で出会ってきた愛おしい子供たちのことを思いながら、親として自分の子供が人間として皆を尊重できる人間に育つよう日々努力しています。
エラちゃん今月誕生日さま(おめでとうございます!)
こんにちは!
コメントをありがとうございました。
アスペルガーの定義は国によってもちょっと違うようですね。自閉症と区別しない、というのはやはり線引きが曖昧だからなんでしょうね。
私の少ない経験ですが、アスペルーの子は一見分からないという印象があります。でも、高度自閉症となると子どもたちの心にリーチするのが難しくなるのかもしれませんね。エラさんのような専門家のカウンセラーが必要ですね。
ユウに聞いたところ、サポートグループをリードしている先生は担任ではなく、やはり専門のカウンセラーのようでした。
ユウの初めて友達になった子どもは、Fragile Xというとても珍しい発達障害を持っています。5才くらまでは同じ感覚で遊べたのですが、だんだん遊び方が変わってきて一緒に遊ぶことが少し難しくなってきています。でも、ユウにとっては大事な友達であるには変わらないようで、誕生パーティーには必ず招待するし、未だに遊びに行きます(その子の母親が私の親友ということもあるのですが)。
いつまでも、そういう友達を大事にしてほしいと思っています。
霧立灯
これを読んだ私は、発達障害でアスペルガーと診断できるという人です。
両親に幼児期のことを聞かないと確定診断できないそうです。
アスペルガーにも知的障害の有り無しがあります。
私には有難いことに知的障害はありません。
ただ、私には他のアスペルガーの人を知りません。大人になってわかったからです。
アスペルガーには、周囲のサポートが必要です。特に子供たちには。
若い頃には、たくさんの感覚異常があって、それは苦しかったです。
リオくんは、小さい時から発達障害とわかっていて、支えてくれるお友達と支えてくれるカウンセラーがいて羨ましいです。
イギリスだからじゃあなくて、時が熟してきたからです。私は、40年遅かった。
でも、年とってもいいお友達はできるものですね。
ユウくんも、できるだけずっとリオくんのお友達でいてあげてくださいね。
もちろん、もう一人のお友達にも。
コメントありがとうございます。
アスペルガーで知的に問題がない場合は、なかなか気づかない場合が多いですね。
特にひと昔前まで、診断が遅れていたために、本人も周囲も悩んでしまうと思います。
私たちは最近日本に帰国してしまったのですが、ユウはいまでもオンラインで前の学校のお友達と会話しています。
リオ君とルカ君は結局一番の仲良しになったので、きっと一生忘れないと思っています。
霧立灯