「バイリンガル子育て」といってもいろんなケースがある。
- 国際結婚したために、子供が二か国語の環境で育つケース
- 親は両方日本人だが、海外で暮らしているケース
- 親は両方日本人で、日本で暮らしているが日本語以外の言語を学ばせているケース
それぞれ違った難しさがある。また、目指すゴールも違う。
ちなみに霧立家の場合は2番である。親として私たちが目指しているのは、
将来、子どもが生きていく国を自分で選べるようにしてあげる
ということ。そのためには、会話だけでなく読み書きでもバイリンガルになる必要がある。これは、かなり高いハードルである。
今日はこのことを前提に、バイリンガル子育てをしていて、最近私が気付かされたことを書いていこうと思う。
バイリンガルで子育てしていて私が反省したこと
まずは、霧立一家の状況をざっと説明する。
- 子ども(ユウ)が3歳の時イギリスに引っ越してきて、6年経つ。
- 3歳までは、完全に日本語だけで育ててきた。
- 将来的にはおそらく日本に本帰国する。
- 現在8歳のユウの英語はネイティブレベルだが、日本語は5、6歳児レベル。
「一人一言語」
バイリンガル子育てでよく言われているのが「一人一言語」というルール。例えば国際結婚や、親が数か国語話せる場合でも、一人の親は決まった一つの言語で子どもに話すということだ。
渡英したとき、何も英語を話せなかった我が子をサポートするつもりで、しばらく家でもユウに英語で話しかけていた。私たち夫婦は海外で学び暮らしていた経験があるので、英語で話すことはそこまで問題ではなかったのだ。
しかし(これはあまりいいことではない…)と薄々感じていた。私たち夫婦にとって英語は母語ではない。英語はどうしたって「借りてきた言葉」。
たとえば、子どもを叱る時、私は日本語になった。それから大事な話をする時も。そのこと自体、霧立にとって英語は「生身の言葉」ではないということを如実に示していた。
幼い我が子に語りかける言葉は、心に一番届く言葉であって欲しい…。そう思って「おうち英会話」は早々にやめた。
1、2年経つと、ユウも英語でコミュニケーションが取れるようになってきた。霧立は出来るだけ日本語で話しかけるようにしていたが、ユウは英語で返してくるので、つい自分も英語になってしまうとことがあった。
ある時、「灯はよく英語になっているよ」とマナブ(夫)に指摘された。それから、英語で返されても自分は日本語で話すように努力した。
ある時、国際結婚をして海外で子育てしている友人の子どもたちが、ユウよりずっと日本語が上手なことに驚いた。聞いてみると、彼らの家庭では「一人一言語」を徹底してた。
友人の子どもたちは二つの言語を区別し、話す相手に応じてきれいにスイッチしていた。また、このブログの読者で国際結婚している方も「一人一言語」で子育てし、お子さんの日本語は年相応の会話力があると言っていた。
「おうち英会話」は短期的には外国語習得の助けになるだろう。しかし、それではバイリンガルにはならない。
長い目で見たら「一人一言語」のほうがきっといい!と思うようになった。
また霧立は、「これは分からないだろうな」という難しい日本語は、意味を聞かれる前からこちらが英語に置き換えて話していた。例えばこんな感じだ。
「この絵はsymmetry (線対称)になってるでしょ?」
まるで「ルー大柴」だった私…。
日本語の意味を聞かれて説明するのが億劫だったのだ。でも当たり前だが、そんなことをしていたら、ユウの日本語のボキャブラリーが増えるわけないのだ!
- 子どもには必ず日本語で話す。
- 難しい言葉も日本語で言う。
- 分からない言葉も出来るだけ日本語で説明する。
- 日本に住んでいる従妹に日本語で手紙を書く。
このことをもっと徹底しようと思わされた。
生活の中でこそ身につく言葉
人は、生まれ育った国の言語が自然と母語となる。今、イギリスで子育てをしていて、英語はこうやって母語になっていくんだ…というのを目の当たりにしていて実に興味深い。
英語のリズムと韻
子ども用の本を読んでいると、時々言葉遊びが出てくる。ユウがまだ4歳頃だった時、ベアトリックス・ポッター(『ピーターラビット』の作者)の“The Tale of Squirrel Natkin”(『りすのナトキン』)を読み聞かせていた。
りすのナトキンがフクロウをからかっている場面で、こんな一節がある(日本語訳はこちら)。
Riddle me, riddle me, rot-rot-tote!
A little wee man, in a red red coat!
A staff in his hand, and a stone in his throat;
if you’ll tell me this riddle, I’ll give you a groat.

フクロウをからかっているナトキン。恐れを知らないいたずらもの。
霧立もユウも、初めは何のことなのかさっぱり分からなかったのだが二人で大笑いした。リズムや音で「人をおちょくっている面白さとバカバカしさ」を感じとったのである。
ちなみに、これは昔からよく知られているナゾナゾで、答えは「チェリー」。(赤くて、茎がついてて(”staff”)、種(”stone”)があるもの。)
英語には、こうした「言葉遊び」がある。もちろん日本語にもあるのだが、英語では会話のセンスとして日本語以上にリズムや韻が重要視される。
ユウを見ていると、普段からジョークの感覚で韻をふんだ言葉遊びをして楽しんでいる。学校の授業で詩を作る時も、必ず韻を入れるように指導されているようだ。
こういうセンスは、語彙力や文法とは別な次元のもの。子ども時代に「言葉遊び」として体験していなければ身につくようなものではない。
不規則な日本語
日本語の面白さは、不規則なバリエーションだと思う。
英語だと「私」は”I”。しかし、日本語だと「私」以外にも、「オレ」「ボク」「あたし」「おいら」「わし」「わたくし」「わい」「自分」などちょっと考えただけでもこの多さ!
そして、それぞれが微妙な形で”I”の個性を作っている。この微妙な違いをユウに教えるのはとても難しい。
また、年齢や性別によって話し方が違うし、尊敬語や謙譲語という難関もある。家の中で親がいくら日本語を使っていても、話し方のバリエーションはかなり限られている。
その不足分を補うにはどうしたらいいか?
海外でバイリンガル子育てをしている人たちから、参考にさせてもらったことは次のようなことである。
- 日本の昔話や絵本を読み聞かせする。
- 日本のアニメを見せる。
- 寄席を見せる。
- 伝統行事を取り入れる。
霧立はこれまで、昔話や絵本の読み聞かせくらいしかやってこなかった。あとは漢字練習。色々な角度から日本を紹介する努力をおこたっていたなあと反省した。
「日本昔ばなし」のYoutubeを見せたら難しかったようなので、まず絵本でストーリーを読ませてからYoutubeを見せるようにした。
そうしたら結構面白かったようで、これは今後も取り入れていきたいと思った。
日本でバイリンガル子育てをしている人へ
生身の言葉
ある時、日本人の親が外国語で子どもに話しかけたという。そうしたら、その子どもは理解はしたが、
「お母さん、お顔がそう言ってないヨ」
と言ったという。どんな内容のことを言ったのか覚えていないが、私は、その子どもは敏感だなと思った。
子どもは「生身の言葉」かそうでないかをするどく見抜く。事務的な内容だったら問題ないかもしれない。でも、感情を伝える言葉が音声だけで、肝心の感情を伝えられなかったら元も子もない。
「母語」とは「母の言語」と書く。母自身の言語でない言葉で我が子に話しかけるのは、異質なものがそこに入り込むようなもの…と思ってしまうのは霧立だけだろうか?
言葉の力は、どれだけ「自分の言葉」で表現できるかにかかっている。薄っぺらい言葉が氾濫しているこの世の中で、せめて親くらいは自分の言葉で子どもの心に語りかけてあげたい。
目的はなにか?
自分と無関係な言語は楽しく学べない。例えば「今日からポルトガル語を勉強しましょう!」と言われて、あなたはやる気になるだろうか?
英語はもちろん出来た方がいい。世界がぐっと広がるのは間違いない。しかし、小さな子供にとっては、英語もポルトガル語も「自分と関係ない」という意味では同じだ。
子どもに、その言葉の文化をどれだけ身近に感じさせられるかがとても大事な気がする。
また、そもそも英語だけでなく、いろんな国の文化を紹介して、子どもが興味を持った国の言語をサポートするというのもいいと思う。英語だけでは見えない世界もたくさんある。
ちなみにうちのユウ(8歳)は、ローマ史オタクなので「ラテン語を勉強したい」と本気で言っている。ラテン語は生活言語ではないので話せるようになることはないだろうが、時空を超えて「過去の声」を聞き取ることが出来る。
親がずっとレールを敷いてやらなくても、子どもは勝手に道を見つけ出す。バイリンガル子育てに限らず、親がしてやれることは「子どもの興味を引き出すこと」のような気がしている。あとは子どもが自分の意思で選んだことを出来る限りサポートすること。
いま、霧立家はいやいや漢字練習をさせるのではなく、もっと「日本文化のアピール」に力を入れなければ!と思わされている。
うちもバイリンガル教育に早いうちから力を入れてこなかったせいで、娘の日本語は日本人として学ばせることは諦めたというところまで来ました。うちは、国際結婚でアメリカ在住。私が土曜の朝早く起きるのが嫌なのと、あまり娘の生活を忙しくしたくなかったのとで、日本語学校へ通い始めるのが他の子達よりも遅くなりました。日本語学校の普通の小学部ではついていけないので、日本語を第二か国語として学べる日本語部に入ってから3年半。だいぶん日本語が上達しました。読み書き漢字、聞き取り、会話力、”外国語”としての日本語ですが、頑張ってるなーと誇りに思っています。現地の小学校では、1年生からスペイン語を習っています。こちらの方は、3年間習ってて、何習ってんの?という感じですが、文化を学んでいるのかな?
将来、日本の大学に留学したいとか、もっと日本について学びたいとか、そういう機会に、昔日本語学校に行っておいてよかったって思ってくれると嬉しいです。それと、思春期に入って、”私は一体何者?”と考え始めた時に、今と変わらず、自分が日本人だということを誇りに思うのにも役立ってくれるといいなと考えています。
しば犬エラはおやつが欲しいさんへ
コメントありがとうございます!微妙に今回も名前が違いますね(笑)。
国際結婚で海外に住んでいると、「将来日本に住む」という可能性が両親が日本人の場合と比べて低くなるので、モチベーションも下がりますよね。
土曜日の補習校も結構大変ですし。
うちもユウが「補習校は行きたくない!」と拒むので、その代わり「毎朝10分日本語の勉強」やっています。
我が家もやぱり「外国人の日本語」になっちゃいますが、エラさんのように「頑張っているなぁー」と評価してあげることが大事だと気付かされました。
実は、つい昨日、「麦」という漢字を3日連続で「ムギってなに?」って初めて聞くかのような顔されて、かなり私イライラしちゃったんです…。
モチベーションが上がるような教え方が出来ていなかったなと。
日本の子どもに教えるのと同じ感覚で教えちゃダメだなと、今頃気付いたんです。
海外で育っていると、そもそも日本への興味を持たせることから始めないとダメなんですよね。
私の友人で、母だけ日本人の国際結婚夫婦がいるんですが、彼らの子供はユウより日本語がぜん上手でビックリしたんです。
母親が、すごい努力して日本の文化を生活に取り込んでいるんですね。偉いなあと思いました。
エラさんのおっしゃるように、言語はアイデンティティーの問題にもかかわってきますよね。このままいくと、ユウはidentity crisis に陥りそうです。
上手にサポートできるように、とにかく楽しく日本語を学べる環境作りが一番だなあと思わされました。
霧立灯