ラベルから考える、本物のヴァイオリン
ヴァイオリンを求めていざ、Londonへ
世界中でよい楽器が集まるのは、お金の集まるところである。ロンドンはそのような場所の一つだ。
いくらエディンバラで「最高のヴァイオリン」(Matthew Hardie 1823)を見つけたからといって、即決するには早すぎる。周りの人からそう促されて、しぶしぶロンドンに行くことになった(くわしくはこちら)。3泊4日。ヴァイオリン選びだけが目的の旅行だ。
今回は、ラベルの問題に直面することになったある楽器店での体験を通して、「本物のヴァイオリン」とは一体何なのか?ということを書いていきたい。
JPGuivier
ここは1863年から続くロンドンきっての老舗。店主のリチャードは35年以上務めている。
「お客様のリストは全て作ってあります。購入された方々のお名前はなるべく覚えるように努力しています。」
と言うほど顧客を大切にしている。イギリス人にしては珍しくメールの返信も早く誠実。楽器商として「信頼」が何より重要であるかをよく知っている人だ。
店主が変わらないのは、買い手にとってとても重要だ。ヴァイオリンは何十年、もしくは一生の間付き合っていくもの。アフターサービスや、その後の楽器のメインテナンスで、自分の楽器や自分の音へのスタンスを店主に知っていてもらえるのは安心感が違う。
「価格設定は、市場価格の標準をとっています。」
とリチャード自身が言うように、価格はリーズナブルになっている。ぼったくりのお店でないのは間違いない。
【JP Guivier 店舗情報】
住所:99 MortimerStreet, London, W1W 7SX
Tel: +44 (0)20 7580 2560
営業時間:月~金 9:00 am-6:00 pm 土 10:00 am-5:00 pm
Ettore Siegaとの出会い
前回の「私が恋に落ちたヴァイオリン-Matthew Hardie-」で書いたように、霧立はエディンバラで見つけたMatthew Hardieのヴァイオリンが相当気に入っていた。
ロンドンで初めに訪れたJPGuivierで4,5本試奏したが、弾くたびに
(Matthew Hardieより良かったら困る…。)
と内心思っていた。「ベストなヴァイオリン」を探しにロンドンまで一家で来ていたので、とても口にはできなかったが。
実際、Hardieは健闘していた。長く弾かずとも「これは違う」とHardieと弾き比べた楽器を次々に却下することが出来た。
しかし、あるヴァイオリンを弾いた時、
「うーん…。結構いいかも…。でもやっぱりMatthew Hardieのほうがいいかな。」
と言ってそのヴァイオリンを置こうとした。しかしその時マナブが、
「ちょっと待って。今のヴァイオリン、もう一回弾いてみて。」
と言った。マナブは音楽を聴く耳のある人だった。小さい頃からずっとピアノを弾いてきて、ヴァイオリンを習っていた時期もあった。
今度は最初より長く、いろいろな曲を弾いてみた。
マズかった…。
ひどく、いいのである。
「……。まあ、確かに、いいね。でもさ、本当にそうかな?」
心の中で感じた印象を打ち消すかのように、再びHardieを手にとって弾いてみる。マナブは渋い表情をして聴いている。
「もう一回さっきのヴァイオリンに戻ってみて。」
とマナブ。
「驚いたね…。灯にもそんなプロみたいな音が出せるんだ!ってほど、凄いヴァイオリンだね。信じられないよ。」
困惑しきった顔でマナブが言った。
確かに、自分で弾いていて自分の音が信じられなかった。鳥肌が立つほどすごい。あまりにMatthew Hardieに傾倒していたために、盲目的になっていた霧立の耳にも聞き過ごせなかったほど、そのヴァイオリンは圧倒的だった。
ヴァイオリンのf字孔から中をのぞくと、イタリア語と「1919」という数字が見えた。ヴァイオリンに付けられていたタグには
“Italian violin, from the workshops of Ettore Siega, Venice circa 1920”
と書かれていた。
ラベルの問題
量産のヴァイオリンしか持ったことがない霧立にとって、良質の手工品のヴァイオリンの魅力の一つは本物の制作者の名前と制作年代がしっかり入ってるラベルだった。
特にラベルが古かったりしたら、もうたまらない。今から考えると、そこまでこだわるのは間違っていると思えるのだが、その時は本気でそう思っていた。
先ほどのヴァイオリンは、”from the workshops of Ettore Siega”とラベルに書かれてあった。要するに「エトーレ・シエーガの工房から」という意味で、制作者が特定出来ていないということだ。
これにはかなりがっかりした。300万円もするというのに、どこの誰が作ったかも定かでないヴァイオリンなんてイヤだわ、と思ってしまった。
試奏を終えて帰る前に、リチャードと話してみた。
おっしゃることはよく分かります。皆さんラベルに制作者の名前がちゃんと入っている楽器を買いたいと言われます。しかし、ご存じかと思いますが、ラベルはほとんど意味がないのです。ラベルは靴を履き替えるのと同じくらい簡単に貼り換えられるものです。だからこそ、この業界では偽物のラベルが横行しているのです。そして昔は制作者自身の名前ではなく、制作者から買い取った楽器商の名前をラベルに入れることもよくあったのです。このSiegaのラベルがそのいい例ですね。
要するに、
本物かどうかはラベルは関係ない。
昔は制作者ではなく楽器商のラベルを貼ることもよくあった。
ということだ。
「本物」のヴァイオリンとは?
リチャードは続けてこう言った。
このヴァイオリンは、確かにEttore Siegaが作ったものだと私どもは確信しています。もしかしたら、父親との共同制作だったかもしれません。いずれにしても、彼の師匠であるダガーニから引き継いだ特徴が色濃く表れています。
これは私が何十年間も様々な楽器を見てきたから分かることなのです。それに世界的に有名な鑑定士のアンドレアス・ウォイウッド氏も、これをEttore Siegaの作品と見なしています。
私たちがこの楽器を「Ettore Siega制作」と書けない唯一の理由は、ラベルにその名がないということだけです。そういう意味でこのヴァイオリンは”Genuine”(「本物」)だと言えます。”Genuine”かそうでないかは、ラベルとは関係ありません。よい作りです。私たちはラベルではなく楽器を見ます。楽器自体が制作者のことをより正確に語ってくれるからです。
つまり、
「本物」かどうかはあてにならないラベルで判断されるものではなく、優れた制作者の特徴がしっかり認められる楽器かどうかで判断される
ということだ。
しかし、霧立の心にはこの時まだわだかまりが残っていた。リチャードはそれを察していた。そして、
「いつもお客様に申し上げているのですが、100%ご満足頂けた時だけお買いください。それはとても大事なことです。」
と言った。その通りだと思った。300万円もするものを、煮え切らない気持ちで買うものではない。
私たちは後ろ髪引かれる思いで、店を後にした。そして、リチャードの言う「本物」という言葉がゆっくりと、澱のように心に深く沈んでいった。
「本物かどうかはラベルと関係ない。楽器こそがその本性を語る。」
このことは、その後いく度となく私の心に立ち昇ってくることになる。
6歳の娘がバイオリンをはじめたので、とても参考になり、助かっています。
新しい記事を楽しみにしています。
Sasaokaさま
コメントをありがとうございました!
娘さん、ヴァイオリン始めたんですね!
初めの数年は大変ですが、楽しく続けらるといいですね。
うちのユウも、やっと1年経ちましたが、まだまだ大変です。
これからもヴァイオリン記事、書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
霧立灯