日本人として捕鯨問題に向き合う
はじめに
捕鯨問題はたまにニュースになる。ブログの記事に書こうかなと思うのだが、一筋縄ではない問題なのであきらめてきた。でも、まだ頭のなかでくすぶっていて、ならば自分に出来るだけのことを書いてみようと思うに至った。
海外に住む日本人として、捕鯨問題は一度はしっかり向き合わなければならない問題だと思うからだ。
こういう問題は難しくなりがちなので、出来るだけ簡単に分かりやすく書いていきたい。
問題のおさらい
捕鯨問題とは、鯨およびイルカの捕獲(捕鯨)の是非に対する国際的な論争、摩擦問題である。
Wikipedia
日本だけじゃなかった捕鯨!
今でこそ、捕鯨問題は日本が標的にされている感があるが、時代をさかのぼると(19世紀末~20世紀)欧米諸国も捕鯨を大々的に行っていた。『白鯨』という小説がそういえば昔あったことを思い出す。
しかし、欧米では食用ではなく、主に燃料や機械油用の鯨油目的での捕鯨だった。乱獲のために鯨の数は一時激減したことと、鯨油の需要が減ったことから欧米では捕鯨が下火になっていった。
次々に捕鯨業から撤退する国々
戦後1946年、国際捕鯨委員会(IWC)が設置されると、捕鯨の規制は急に強まった。(日本は独立直後の1951年に加盟。)
捕獲枠が減少され、またコスト上昇に耐え切れず捕鯨業から撤退する国が増加。今や国民の94%が捕鯨に反対するオーストラリアも1960年代になって、イギリス、オランダと共に捕鯨業から撤退したという。
比較的最近の出来事だったことに霧立は驚いた。
商業捕鯨モラトリアム
「モラトリアム?」と聞いて、とっさに霧立の頭に浮かんだのは、人生を悩める若いクジラの顔。しかし、もちろんこれはそんなことではなくて、
捕鯨国が商業捕鯨を一時的に停止すること。
Weblio辞書
簡単に言えば、
「世界中の海にクジラが何頭くらいいて、どれくらいまでなら捕って大丈夫だか調べて計算するから、ちょっとその間、捕鯨するのは待っててね!」
という取り決めだ。
この、商業捕鯨モラトリアムが1982年、IWCで採択される。初めは異議申し立てをしていた日本も、やむなくモラトリアムを受け入れた。
IWC加盟国は反捕鯨国が多数を占めるため、モラトリアムは解除されずに現在まで続いている。
日本の調査捕鯨
結局モラトリアム採択以降、商業捕鯨は次々に禁止されていった。活路を失った日本は、「調査捕鯨」という名目で捕鯨を続ける道を確保した。
調査捕鯨とは、
クジラの生態系や資源量などの科学的調査を目的とする捕鯨。調査の副産物である鯨肉は国内で販売され、次の調査費用に充当される。
知恵蔵
なんだかうさん臭さを感じてしまうのは霧立だけだろうか?一体なにを南極くんだりまで行って調査しているというのか?
- サイズや重さの測定
- 耳垢や胃の内容物などを採取して分析
「調査」が終わったら解体して、鯨肉は「調査の副産物」として売る…。クジラの身体測定と耳垢と胃袋調べるために大金を使って南極まで出かける、とはにわかに信じがたい話だ。案の定、「事実上の商業捕鯨だ!」と各国から批判されている。
賛成国vs.反対国
【主な賛成国】
日本、ノルウェー、アイスランド
【主な反対国】
オーストラリア、スペイン(闘牛やめろよ…)、フランスなどのEU諸国、ラテンアメリカ諸国、アメリカ(先住民族にのみ許可)
さて、問題の背景についてはこれくらいにしておこう。じゃないと日が暮れちゃう!
いくつかの争点
1. 海洋資源なのか野生動物なのか?
欧米の捕鯨反対派に対する日本側の批判としてよくあるのが、
「あんたたちだって牛肉食べてるでしょ?」
というもの。これに対して捕鯨反対派は、
「家畜の数は簡単にコントロール出来るが、野生動物の生息数は人間が簡単ににコントロール出来るものではない。食物連鎖の頂点に立つ鯨の生息数を減らすことは、海洋生命全体の生態系に大きな影響を及ぼす。」
と答えている。
フーム…。この理論に乗っかって言うなら、確かに人間が広い海(地球の7割)の中にいる鯨の数を正確に把握したりコントロールするのは難しいだろうな、と思う。そりゃ家畜とは違う。
でもだったら、他の魚にも同じことが当てはまるのでは?サーモンやタラ(Fish and chipsの魚)はイギリスでも人気だけど、それはどうなるの??食物連鎖は頂点だけでなく、どこかの一角が崩れると思わぬ影響が出ると思うのだけど…?という疑問は残る。
2. 知能の高さ、かわいらしさ
これは、鯨の感情の豊かさを立証するBBCの撮影した動画である。生まれたばかりの鯨の赤ちゃんが死んでしまって、母親は手放せずに何日間も赤ちゃんの亡骸を抱えながら泳いでいる。
他の鯨たちも、子どもの死を悼み哀しんでいるというのが行動から分かるという。
高い知能を持ち、人間と同じような感情を持っている鯨をわざわざ殺してまで食べたいとは私は個人的には思わない。
しかし。他の動物はどうなのか?人間がほかの動物の知能の高さをどれだけちゃんと分かっているか疑問だ。
それから、「知性の高さ=命の尊さ」というのも、優生学に結びつきそうで簡単に賛成できない。もちろん霧立も家の中にいる虫は駆除するが、法律でそれを取り締まるのはまた別の次元だ。</strong
また、「かわいいから」というのは、論拠としてさらに弱い。羊の赤ちゃんだって相当かわいいと思うが、イギリス人はイースターにラム肉を好んで食べるし、ウサギも食べる。オーストラリア人はカンガルーの肉をドッグフードに使う。アジアの一部の国では犬を食べる…。
鯨やイルカの知能が高いのは間違いないと思うし、かわいいから霧立も好きだ。しかし「知能の高さ、かわいらしさ」を理由に捕鯨を反対するのは、欧米の知的偏重主義、あるいは人間中心主義から来ているのではないだろうか?
伝統文化
日本では、仏教の伝来とともに676年「牛、鳥、犬、猿、猪の肉を食うなかれ」という禁止令が出され、「古事記」でもこれらの肉を食すべからずとの殺生戒があります。このため、鯨を含む水産資源による食文化が発展しました。鯨は、昔は「勇魚(いさな)」と呼ばれ、室町時代の有名な調理本である「四条流包丁書」では最高の献立とされました。
在シドニー日本総領事館のホームページ
捕鯨反対の急先鋒委であるオーストラリアにある日本領事館は、きっと針のむしろに座っている心境なんだろうなと思わせるウェブサイト。同じ思いをしている在住邦人のためか、やっきになって捕鯨擁護論を並べている。
しかし、この「文化説」は全く受け入れられない。いまどき、鯨を日常的に食べている日本人はとても少ない。大昔には親しまれていた食材かもしれないが、少なくともこの何十年間は口に入れたことがない、という日本人が大半だ。それは「今は廃れた昔の習慣」でしかない。
今は廃れた昔の習慣は、お歯黒とか、それこそ「牛や鳥」などの肉を食べなかった習慣とかいろいろある。習慣はいつの時代でも変わっていく。
それなのに、ごく一部のある地域のことがらだけを取り上げて「日本の文化だから」とあたかもそれが日本全体でずっと続いてきたかのように言うのは、なんだかご都合主義のような気がしてならない。
かつて捕鯨基地のあった下関は捕鯨文化の保護に積極的だ。近年小学校の給食に鯨肉を導入しており、年々回数を増やしてきている。そのため予算も毎年増額されている。
これは、「鯨は昔給食に出されていたが今はもう誰も食べていない」という論調に対して「既成事実」で対抗しているように霧立には見える。実際「商業捕鯨の再開に向けた機運を高めることを目指し」クジラ給食を増やす、と下関市長の前田市長も言っていた。
【追記】
2018年12月、しびれを切らした日本はついにIWCを脱退し、商業捕鯨を再開することとなった。今後は、南極からは撤退し、日本沿岸で捕鯨を再開することになる。
しかし、鯨肉の人気がない現代、どれだけ採算のあう「商業」(ビジネス)になるかは疑問だ。巨額の税金を投入しないと成り立たないなら、それはビジネスとして問題があるだけでなく、民間の活力を失っている営みということではないだろうか?
市民レベルでは感情問題、政府レベルでは政治問題
結局、捕鯨問題は市民レベルでは感情問題だと思う。誰だって、事情をよく知らない人から批判されるといい気持ちはしないものだ。そして、批判に耳を傾けようとせずに、反射的に相手を批判し返してしまう。
「そっちだってビーフ食べすぎでしょ!」「カンガルーがかわいそうじゃないか!」「闘牛はもっとひどい!」…。
こうなると、もう感情的になってしまってダメだ。
「牛肉は家畜として飼育している牛の肉で、鯨は野生動物だからその捕獲は生態系を破壊しかねない」とあたかも科学的根拠のもとに冷静に捕鯨に反対するが、
「じゃ、鯨を養殖すれば食べていいのか?」
と聞けば(養殖できるのか知らないが)、反対派は顔を真っ赤にしてそれでも反対するだろう。
彼らにとって鯨は特別な生き物なのだ。海の王者であり平和のシンボルなのだ。でも法的な拘束力を持たせる場面では「鯨が好きだから捕鯨反対!捕鯨は禁止!」とは言えない。
だからあまり説得力のない色々な理由をこねくりまわして反対する。そんな風に欧米から一方的にこっぴどく批判されるから、感情的になって捕鯨を支持する日本人がいるのは事実。
しかし、実際のところ、鯨肉は人気がなく「調査捕鯨」を請け負っている「財団法人日本鯨類研究所」は大量の鯨肉在庫を抱え、経営破綻寸前だという。(しかも、東日本大震災の復興予算がこの研究所の赤字補填に使われたことがNHKスペシャルの復興予算調査報道で取り上げられて問題になった。)
(かなりドス黒い話になってきたぞ…。)
つまり、先ほどの下関市など、鯨とゆかりのある地域の人たち以外、多くの日本人にとって捕鯨はそこまで固執する問題ではないということだ。
ではだれが捕鯨にそこまでこだわっているのか?
それは日本政府である。日本の捕鯨は、年間51億円の予算のもと政府を通して行われている。「調査捕鯨」を請け負っている「財団法人日本鯨類研究所」は、ナントかつての農水官僚の天下り先である。
また、IWC加盟中は、捕鯨賛成票を買収するためにODAという名目でこれまで416億円も費やしてきた(日本政府も認めている)。けた違いの税金が「捕鯨文化」のために費やされていることを多くの国民は知らない。(くわしくはこちら。)
つまり「捕鯨調査」の背後には、研究予算、出世や年金がかかった巨大な官僚構造があるのだ。(官僚は自分がトップを務めている間は、予算や担当者が削られたりするのは恥ずべきこと、と考えるそうだ。)
また政治家も、自分の選挙区が捕鯨と関係が深ければ商業捕鯨の再開を約束する。よく聞くおなじみの話である。
動物愛護の世界市民 VS 利権を守りたい日本政府と官僚
どうりで議論がかみ合わないはずだ。これではいつまでたっても議論は平行線だろう。
おわりに
霧立も鯨が好きだから食べたくないし、捕鯨反対だ。ハッキリ言って理屈ではない、感情だ。(ちなみに霧立家は肉全般を食べない。これは感情問題では実はないのだが。)
また、反捕鯨派の意見はそこまで説得力はないが、そこまで反対されているのに捕鯨を死守する捕鯨賛成派も理解できない。
しかも今回調べてみて、結局自分たちの利権を守りたい政府と官僚のために、巨額な税金や復興予算が捕鯨に使われていることを知った。それなら、なおさら反対だ。
しかし、牛肉や豚肉は平気で食べる捕鯨反対国の人たちのダブルスタンダードもいかがなものかと思う。
(とにかく闘牛やめんかい!)
また、やはり日本人は外国から言われるだけでなく、自分たちでこの問題に向き合わなくてはならないだろう。日本政府の捕鯨に関する情報は今回かなり読んだが、どうしても偏っている。マスメディアにはもっとつっこんだ報道を望みたい。
今回、給食に鯨肉を出す学校があることを知り、学校給食とベジタリアンについても考えてみたのでぜひ読んで頂きたい。
こんにちは。オーストラリア出身の旦那と、2人の子供を持つオーストラリア在住者です。先日6歳の娘の学校で先生が捕鯨問題の話をして、友達から非難の目で見られとてもショックを受けて帰ってきました。これまで私自身が日本人として捕鯨問題の事を言われることはありましたが、子供がこんな形で言われるのはフェアじゃないと思い、先生とよく話をして理解は得ましたが、、。たまらない気持ちになって、捕鯨問題とどう向き合っていったらいいのか調べていて霧立さんのブログに出逢った次第です。わかりやすい説明と偏りのない私見、とても参考になりました。ありがとうございます。
Yokoさん
コメントありがとうございました。
そして、まずはお嬢さんもYokoさんも、とてもつらい思いをされましたね…。心痛をお察しします。
子どもがそんな目にあうと、親はもっと辛いですよね。でも先生と話し合いが出来て良かったですね。
多分、その先生も多角的な見方をしたことがないんだと思います。
ひとつの文化の中にどっぷりつかっていると、なかなか難しいことなんですけどね…。
「フェアじゃない」というのは、本当にその通りだと思います!
まずは、鯨はいけなくて牛はいいというのも分からないし、お嬢さんが鯨食べているわけでもないし。
それが、日本人だからというだけで非難の目で見られるなら、人種差別と言ってもいいレベルではないでしょうか?
学校は「伝え方」にもっとセンシティブになるべきでしたね。
お嬢さんが、今後このことで辛い目に合わないことを祈っています。
むしろ、他の肉食問題を提起する機会になるといいですね。
拙ブログが少しでもお役にたて、幸いです。
霧立灯
最近捕鯨の特集を見て、反対派、賛成派どちらにも???となることがあり調べていたらこのブログを見かけました。
このブログでは片方の立場だけでなく両方の側から述べられていて、とても好感が持てました。そのような中立の素晴らしいブログだと思えました。
正直私は反捕鯨側の鯨は知能が高いから!とか諸々の主張に納得いかないし、日本側の鯨食は文化だから!っていうのも納得できないので国として無駄金だけは使ってほしくないなぁーって感じです。
ktgoさま
拙ブログをお読みくださり、また過分なお言葉をどうもありがとうございました。
かなり力を入れて書いた記事だったので、評価して頂き嬉しいです。
税金のこと、同感です。
伝統文化の保護にある程度税金が使われるのは、やむを得ないとは思うのですが、一般的な伝統文化保護(お寺の修復、伝統芸能)に使われる税金に比べて捕鯨に使われる税金は全くけた違いに大きいのです。
捕鯨を「文化」とし、そこに特別に多大な税金が使われるのは、やはり疑問ですよね。
ただ、他の動物をお肉を毎日モリモリ食べている人が、捕鯨を動物愛護の観点から批判するのもダブルスタンダードですよね。
霧立灯