
性教育はいつから?
「子どもにいつから性的なことを教えるのか?」
親ならば、誰でも直面するこの問題。
理想的なのは、「子どもが興味を持った時が、その時」ということになると思う。教育家モンテッソーリは、子どもが興味を持つ時、疑問に思う時を逃してはいけない、と言った。なぜなら興味関心は、その時に学ばなければならない「自然からの宿題」だからだ。
ちいさな子どもに、「赤ちゃんはどうやって生まれてくるの?」と聞かれた時、「まだ早い」とか「コウノトリが運んできてくれる」などとはぐらかすのは、とても残念なことだ。
しかし、幼児への性犯罪の問題を考えると、性への目覚めがない年齢であっても身を守るために教えておいた方がいいという指摘も。具体的には、小さな子どもには次のように教えるといいそうだ。
あなたの体はとても大切なもの。特に水着に隠れる部分は、誰も見たり触ったりしてはいけない。そうする人はおかしい。そんなことになったら、その場から逃げるか、大きな声で叫ぶこと。
(日本の性教育はなぜ“セックス中心”なのか)

子どもへの性加害は、男の子でも女の子でも同じ。また小児性犯罪者の3割は、教職員や指導者など日常的に子どもに接する仕事の人が多いと言われている。
子ども時代の性被害は、その人の人生はもちろん、結婚後の家族の人生にまで大きな傷とひずみを残す。子どもの身を守る意味での性教育は、子どもの興味関心に先行して教えられるべきことなのだ。
子どもを性被害から守るためには、幼児期から身の守り方を教える。また、子ども自身が性に興味を持った時には、はぐらかすのではなく真剣に疑問に答えることが大切。
日本の性教育に「やらしさ」が付きまとう理由
日本では、性がタブーとして扱われることが多い。学校の保健体育の授業でも、思春期の男女の体の変化については触れるものの、性行為そのものについては触れない。
その反面、日本は性産業がおおっぴらに行われており、子どもが不健全な形で性に遭遇する機会が多い。また子ども向けの漫画やアニメなどでも、性の描写を含むものもあり、「小学生の息子が、女の子がレイプされる漫画を読んでいるのを発見して驚いた」という事例も珍しくない。

親はあわてて性について健全な知識を伝えようとするが、時すでに遅し。世に出回っている性産業やコンテンツは、性的刺激を煽ることが目的であることがほとんど。性のイメージは歪められており、刺激も強い。
親がいくら性の神秘や生命の素晴らしさを話しても、子どもにとっては「性」=「やらしいもの」というイメージが強く出来上がってしまっているのだ。そして悲しいことに、自分の誕生すら「汚らわしいもの」として受け取ってしまう。
我が家の息子は、5,6歳の頃から「ぼくはどうやって生まれてきたの?」「赤ちゃんはどこから生まれてくるの?」「どうしてお母さんにはチンチンがないの?」と色々聞いてきた。私たちはその都度、年齢に応じた説明をしてきた。
先日、その息子は10歳になったのだが、誕生日の前日、自分の誕生について再びたずねてきた。「お父さんとお母さんは、どれくらいやったの?」ちょっとびっくりしたが、(ああ、自分の存在の起源について知りたいんだな…)と思って、一度の性交で妊娠する可能性は実はとても少ないこと、授精や誕生の神秘について話した。
説明し終えたら、とても安心した、満足そうな顔で帰っていった。自分の命がどれだけの奇跡で生まれてきたのか、どれだけ待ち望まれたものだったのか、ということが分かったからだと思う。
私は、(ああ小さな頃からちゃんと性について真面目に話してきてよかった…)と心から思った。これから成長していく中で、性産業の歪んだ情報に出会うことは避けられないだろう。でも、性行為をかけがえのない自分の生命の起源として初めに母親から聞いたことは、彼の原初体験として残っていくと思う。
日本の性教育に「やらしさ」が付きまとうのは、はじめの性との出会いが不健全な場合が多いからではないだろうか?子どもが小さいうちならかえって親子で性の話を正面から話せる。大事な話だからこそ、一番初めは親が伝えたい。
「性の解放」で戸惑う親も多いイギリス
一方、イギリスの性教育は日本と正反対。幼稚園から性教育が始まる。幼稚園でもLGBTについて教えたり、小学校で避妊具を配ることも。
「ええ!?そんなの極端な例でしょう?」と思う読者がいるかもしれない。しかし、これはどれも霧立の住んでいたエディンバラのある幼稚園、小学校で実際行われていたものだ。
保護者の中には急進的な性教育に反対している人も結構いる。霧立のクリスチャンの友人たちや、またイスラム教の人たちも大反対を唱えている。

また最近は、「人のいない場所で自分の性器を触り楽しむ」ことを性教育として6歳からの子供たちに教えている小学校もある。このような性教育は、イギリスの240校以上の小学校で実践されているというから驚きだ。
これには保守的な価値観を持つ親だけでなく、さすがに多くの保護者から「不適切だ」との反対の声が上がっている。
現代のイギリスでは、伝統的な価値観が崩壊し、個人の「自由」「平等」「人権」だけが唯一の規範になっている。「倫理」という枠が外れた今、「自由・平等・人権さえ保障されていればなんでもアリ」の時代になっているのだ。
日本の性教育が遅れていることを懸念する人たちは、欧米の早期性教育を称賛し、取り入れようする意見が多い。しかし、私は何の考えもなしにただ欧米のやり方に倣うなら、それは明治時代と同じではないかと思う。
価値が崩壊した現代のイギリスの教育現場は、方向性を失って混乱しているように思う。とりわけ「性」のような倫理的な側面が強い問題に関してはなおさらだ。
誰が教えるのか?
イギリスでは、こういった倫理観の欠いたラディカルな性教育が問題となり、「性教育は家庭でなされるべきだ」という意見も出てきた。「性」はデリケートな問題であり、信仰や家族観に直結するからだ。
実際、イギリスでは性教育が行われる前に保護者を集めて、授業で扱われる内容を保護者と協議する。何をどう教えるかは、地域の特性を考慮しながら学校ごと、学年ごとに決められていく。
また、もしその教育内容に保護者が合意できない場合、子どもをその授業に出させない権利も保護者には認められている。
実際、厳格なイスラム教徒の家庭の子どもは、性教育の授業に出ないこともある。しかし、性の知識がないために十代で望まない妊娠をしてしまったというケースもあり、それはそれで問題になっている。
このように、性教育に関して、家庭と学校の線引きは難しい。
私は、性教育は大きく分けて3つの側面があると思う。
- 身を守るために知っておくべき性知識(性被害/妊娠のメカニズム/避妊/性感染症など)
- 人権の要素(性的マイノリティー)
- 性とどのように向き合っていくかという倫理的側面
である。
学校は、「身を守るために知っておくべき性知識」と「人権」について中立的な立場で教えるべきだと思うが、避妊具を配ったり、性的行為を奨励するのは行き過ぎだと思う。
社会全体としての価値観が崩壊している以上、倫理的側面は家庭の教育にゆだねるべきではないだろうか。
うちも霧立家と同じように小さな時から、自分を守るための性教育をしてきています。それといろんな家族の形があるんだということも話し、将来娘が恋愛感情を持ち始めたときのことを考えて、あなたの将来の彼氏か彼女という話し方をしています。
うちは娘が10歳の時に下の子が生まれたこと、それまでに私が何度も流産を経験し、どれほど赤ちゃんが来てくれるのが大変なことなのか、娘は私を通していっぱい経験したと思います。直接性行為の話もしました。旦那と私がキスしてたりすると気持ち悪ーいと言ったりする娘ですが…。
中学生の頃から恋愛関係に入る子供たちも多い中、親がオープンに性教育をするのは大事だとつくづく思います。私のセラピーのクライエントたちは、私にオープンにそういうことも話してくれるし、聞いてくれる人、話してくれる人がいるのが大事だと思っています。
日本の大人の漫画などが子供の目に触れるところにあるのは気になりますね。男性優位で女性の性が犯されるようなトピックのものが多いのも気になります。性教育にはいろんな要素があり、性平等や健全なボディイメージを促進するためにも小さいうちから、子供のなぜに年齢相応に話し、親からも率先して話すべき大切なトピックだと思います。
エラちゃんはお姉さんさま
コメントありがとうございます。
アメリカは州ごとに大分違いそうですが、学校での性教育はどんな感じなのでしょうか?
福音主義キリスト教の影響で、イギリスより保守的なイメージがあります。
流産を間近で見ていると、本当にどれだけ生命の誕生が奇跡的で、親にとって待望のものだったかということがよく分かったでしょうね。
お姉さんにとっても、素晴らしい前向きな体験だったに違いありません。
私は両親が不仲だったので、自分の命や存在を肯定的に受け止めるのが難しい時期が長かったです。
「愛し合う両親のもとに生まれてきた」という確信は、その子供の人生で最も大事なことだと思います。
家がお金持ちだろうと、貧しかろうと、これに勝るものはないと思います。
(お金なら、子どもが大人になった時に稼げますから。)
話はそれましたが、これから子どもが思春期に入っていっても、いろんなことをオープンに話せる関係を日々築いていけたらいいなあと思っています。
霧立灯