「いつかは留学してみたい」「子どもの留学で最適な時期はいつだろう?」そう考えている人は結構いるのでは?
わたくし霧立灯は、高校、大学の一時期に留学し、6年前から夫(マナブ)の大学院留学に伴ってイギリスで暮らすようになった。
高校、大学、大学院留学。それぞれの留学には、全く違った良さや大変さがある。今日は自分(と夫)の経験から、それぞれの留学について書いていきたい。
あなたにとって最適な留学の時期と方法は?
高校留学
霧立は、高校2年生の時に交換留学制度を利用して、オーストラリアの高校に6週間通った。同い年の女の子(サラ)と2歳年上のお兄さんがいる家庭にホームステイした。
半年後、今度はサラが日本の我が家で6週間ホームステイをしながら私の通う高校に留学。これぞ本当の「交換留学」という留学制度だった。
人種の壁を乗り越えた
本当に深い人間関係を築けた。ホストシスターのサラとは、とにかく毎日一緒に通学して、帰宅後も一緒に時間を過ごした。
彼女とは、たくさん笑って、泣いて、お互い悩みを相談したり、時にはケンカもして大親友になった。こういうのは、10代のあの時期だったからこそ。
「肌の色が違っても同じ人間なんだ」
こんな単純なことに気付いた。「そんなの当たり前でしょ?」と思う人がいるかもしれない。
でも、本当にそのことを知っている人は多くないのではないだろうか?どこかで「外国人」と「日本人」という壁を心に作ってる。外国人の行動が理解できないと「しょせん、文化が違う」で片づけてしまう。
また日本には、白人に憧れを抱き、有色人種を見下げる傾向が残念ながらある。それもまた、「肌の色が違ってもみんな同じ人間」ということを、本当には分かっていないからではないだろうか?
そういう「心の壁」を打ち砕いてくれたのが、私の高校留学の一番の収穫だった。

40歳のサラのバースデーパーティー。サプライズゲストとして、英国からオーストラリアまで飛行機を26時間以上乗りついて駆けつけた!高校の時以来の再会で、本当に感慨深かった。
ホームシックが軽かった
「ホームシックにならなかった」とは言わない。でも、ホストファミリーはとてもよい人たちで、いつも親身になってくれたので、本当に孤立することはなかった。
コミュニケーションスキルの向上
霧立がオーストラリアの高校に通っていた時、学校見学に来た日本の高校生たちに遭遇した。印象的だったのは、彼女たちは”Thank you”と一言いうのも恥ずかしがっていたことだ。
その頃の霧立は、低レベルの英語で毎日がサバイバルだった。休み時間に学校のカフェテリアに行って「チョコチップマフィンを1つ下さい」と言っても発音が悪すぎて分かってもらえない。カナシイ…。
だからこそ、相手に伝えることに必死になった。恥ずかしがっている場合ではなかった。また、一つの表現で通じなかったら他の言い方にしてみるなど、あの手この手で「伝えよう」とするスキルが身に付いた。
このように霧立のような短期留学でも得るものは大きかった。EFは色々な期間の留学プログラムを用意しているので、ご参考に(EFの高校留学)。
大学留学
霧立は大学3年の時、これまた交換留学制度を利用してアメリカの大学(University of Washington)に1年間留学した。(エコノミカルな子やね…。)
タフになった!
アメリカ留学では、とにかくタフになった。ホストファミリーがいた高校の時は、困ったことがあればホストファミリーが手助けしてくれた。しかし、「大学生はもう大人」というアメリカでは、基本的に全て自分でやらなければならない。
問題に直面して、あきらめたら自分が損するだけ。自己主張、交渉のタフネスが身に付いた。
また、アメリカの大学の勉強は大変だ。アメリカ人の学生でも大変なのだから、ましてや霧立のような留学生は相当な覚悟が必要だ。タフでないと、戦線から脱落する。

とにかく勉強している時間が長かったから、よく場所を変えて勉強したものだ。友達と一緒にカフェに行って勉強することも多かった。
そのおかげで、留学を終えた後は「この先、私はなんだって乗り越えられるワ!」という気になったのも大げさな話ではない。就職活動の時も、そのような自信とメンタリティはかなり評価された。
研究の仕方の土台を学んだ
日本の大学では、先生のせま~い専門分野を拝聴して、それをもとにレポートを書いたり試験を受けた。いってみれば、講義以上の「深まり」や発展性に乏しかった。(ゼミは面白かったが。)
一方アメリカの大学には、講義内容を深めるシステムがあった。一斉授業は、小グループによるディスカッションのクラスとセットになっていることが多かった。
また、先生の講義を「鵜呑み」にするのではなく、どのように批判的に受容するかが重視された。このあたりは日本の教育とは一番違うところだ。
日本では、講義の内容をいかに正確に理解したかが重要。試験やレポートは、そのアウトプットが出来れば良しとされる。しかし、アメリカの大学ではそれでは不合格。物事を批判的に見て、議論することが重要なのだ。
また、ディスカッションのクラスで発言しないのは「授業に貢献していない」とみなされる。議論によってみんなで講義内容を深めていく醍醐味がそこにはある。

留学生だろうと、プレゼンテーションは回ってくる。大変だけど、1回やればすごい自信につながる!
また、論文の書き方なども一から教わる。霧立は日本で大学院に進んだので、アメリカで身に着けた研究スキルは、とても役に立った。
大学院進学を考えている人に、アメリカの学部留学は非常におススメである。
ホームシックになった
アメリカでは大学の寮(ドミトリー)に住んでいた。カリフォルニア出身の女の子と部屋をシェアしていたが、彼女とは、聴く音楽も趣味も全然違った。しかも部屋が狭い!息苦しいことこの上ない。
日々の勉強は超大変だし、ホストファミリーもいない。仲の良い友達はいたけれど、取っている授業は全然違うし、アメリカの大学のキャンパスは広大なので、しばらく全然顔を合わせないこともあり得た。
でも、孤独になることは大切な経験だった。孤独になることで「自分」という輪郭が初めてハッキリ見えてくる。また、自分が「外国人」という立場になることで、マイノリティーへの理解もぐっと深まった。
英語力がアップ
当然だが、リスニングやスピーキング力はアップした。また、単に会話能力だけでなく、論文を読み書きするアカデミック・イングリッシュがある程度身に付いた。
直接大学留学するには語学力が足りない…という人には大学留学準備コースもある。ここでは、語学力アップ以外に留学全般のサポートも手厚く行っているようだ。
大学院留学
霧立の夫マナブは、エディンバラ大学(英国)の修士課程、博士課程を終えた。自分自身が体験したことではないが、身近で見ていて高校や大学の留学とは大分ちがうなぁ~と思った。
異文化交流や英語力アップが目的で大学院留学を希望する人は、いないだろう。大学院留学で得られるものは、国境に妨げられない、最先端の学術交流だ。
1年間の修士課程
イギリスの大学院で目を引くのは、修士課程が1年間ということ。アメリカをはじめとして、修士課程は2年間が一般的。
3~4年の博士課程
アメリカでは博士課程をとるのに5年~8年くらいかかる。専門領域外の幅広い知識の積み重ねを重視するからだ。
それに対してイギリスでは、早々に自分の研究に着手できる。担当教員とは2ヵ月に1回ほどミーティングをして、進捗状況を確認したりアドバイスをもらう。
PhD1年目の終わりに、研究をこのまま進めていいかどうかが複数の教員によって審査される。これで落第すると、研究を進められない。
しかし、これにパスすればあとは最終学年まで、じっくりと自分の研究を進められる。アメリカのように授業を取る必要はない。
アメリカの博士課程がどちらかと言うと教員養成に力を入れているのに対して、イギリスの場合は研究重視。学会で発表してヨーロッパ中の人脈を築けるのも魅力だ。

エディンバラ大学は、博士論文を提出すると事務でこんなキャンディーがもらえる。ユウ(9歳児)が食べちゃった…。
霧立は慶應の大学院で修士論文を書き、とてもよい成績をもらった。しかし、マナブのやっていることを見ると、自分がやっていたのは「ままごと」みたいなものだったと思う。研究の精度も、厚みも全然違うのだ。
もちろん、日本でも立派な研究をする人はいる。しかし、世界に通用する研究をしたいなら、断然海外の大学院への留学をおススメする。
大学院合格には、TOEFL/IELTSでかなり高得点が要求され、またエッセーも提出しなければならない。その段階でつまづき、予想以上に時間を取られる人も。最短で確実に合格したい人に向けて、こんな大学院留学サポートもある。
まとめ
高校留学は、最も自然なかたちで異文化交流が出来るのが最大の魅力。
大学留学は、異文化交流とアカデミックな刺激の両方を受けられる。
大学院留学は、世界に通じる質の高い研究が行える環境が最大の魅力。
英語力に関して言えば、「若い頃のほうが吸収が早い」と一般的に言われているし、ある程度そうだと思う。しかし、「吸収が早い」=「英語力が高い」では決してない。
語学は積み重ね。霧立は個人的には40過ぎた今が一番高いと思う。むしろ子育てをしながら実社会で暮らしている今、とてもバランスのとれた英語力が身についているように感じる。マナブはアカデミアの世界に生きているのでイギリス人でも知らないような難しい単語はたくさん知っているが、時々子どもが使うくだけた英語を知らなかったりするから面白い。
いつ留学するのが最適か?
それは、あなたが留学に何を求めるか?
ということを考えれば、おのずと見えてくることだと思う。
霧立さんは高校に通ったんですね。それはきっと良い経験だったんでしょうね。日本の高校とは雰囲気もすごく違ったことと思います。同じ時期に日本から留学していた人はいないんですか?
私の高校での体験は、同じ高校の人たちと大学のELSクラスをとってホームステイをする3週間の海外研修でした。全然英語のわからない私にはちょうどよかったんでしょうけど、英語を学ぶ上でも文化を学ぶ上でも、日本人の友達を頼りにしすぎた気がします。この時にあまりにも英会話のできない自分に嫌気がさし、その後猛勉強することになったのですが。
その後短大に2年、4年制に2年、修士課程に3年留学するわけですが、どの留学も霧立さんのいうようにいいところいっぱいありましたね。他の記事にもコメントしたかもしれませんが、修士課程所属中は、フルタイムで40時間働き、16時間のインターンシップをし、学期に2クラスづつとった年は地獄でした。とにかくサバイバルの年でした。
海外生活は今が楽ですね。仕事から帰ってきたら子育て家事が待っているけれど、勉強しなくていいですから。それに配偶者もいるし、友達もいるし、文化にもなれてるし、自立してるし、一人じゃない、自分の人生を歩んでいるという心地よさがあります。これは年の功ってやつかもしれません。
エラちゃん暑いさま
コメントありがとうございます。
私が高校で短期留学をしたときは、全くの一人だったんです。
日本(東京)の高校から7人選ばれて行ったんですが、みんなオーストラリア中の別々の地域に飛ばされました。
その分大変でしたが、日本人とくっつきようがない環境だったのは、良かったと思いますね。
確かに学生の時の方がプレッシャーがありましたね。
本当に家族がいるのも大きいですね。
私は、この国に永住するわけではないので、宙ぶらりんな感じはやっぱり残ります。
いつも(次はどこへ行くんだろう…)って思ってしまいます。
でも、だからこそ、このBlogは私の「居場所」になっているんですね。
どこへ行っても出来ますから!
これからもどうぞよろしくお願いします。
霧立灯