長いものを見ると振り回したくなる男の子
ハァ―…。(いきなり溜息)
一体なんでなんだろう?
男の子は長いものを見ると、手に取って嬉々として振り回すのだ。うちのユウ(8歳)もまさにそれ!母には訳がさっぱり分かりませぬ…。
ユウお気に入りの「振り回しアイテム」
- 木の枝(長ければ長いほどよい。)
- 菜箸(指揮者になりきって、音楽に合わせて振る。)
- 1mの手芸用物差し
- 5mの巻き尺
- リセットポール
広い野外で振り回している分にはいいのだが、悪いことに、我が家は狭い…。
「家の中で振り回さないで!」
「周りに人がいたら、危ないでしょ?」
「先がとがっているものは、人の目に入ったら大変だよ!」
といくら言っても、なかなか止めない。しかも、これはうちのユウに限ったとではなく、多くの男の子に共通して見られる傾向らしい。
となると、これはモンテッソーリ先生の言う「敏感期」としか考えられないのではないだろうか?と霧立は考えた。
モンテッソーリの視点から
敏感期
モンテッソーリの教育概念で最も重要で有名なのが「敏感期」という言葉だ。モンテッソーリはこの概念を説明するために、しばしば毛虫の幼虫の話をする。
卵から生まれたばかりの毛虫は、柔らかい新芽しか食べることが出来ない。ところが新芽は枝の先端から出てくる。
生まれたばかりの毛虫は光に対してとても敏感なため、明るい方、明るい方を目指して梢まで登っていく。ちょうど毛虫が枝の先端にたどり着く頃、新芽も芽吹いており、毛虫はそれを食べることが出来る。
しかし栄養のある新芽をいっぱい食べて体が大きくなり、大きなかたい葉っぱも食べられるようになると、この光に対する敏感さは消滅し、毛虫は木の下のほうへとまた降りてくるのだという。
毛虫は食べて成長するために、幼虫の一時期だけに光に対して敏感になり、その時期が過ぎるとその敏感さが消滅するというのである。非常に興味深い話だ。
モンテッソーリはこのことを一般化し、子どもの成長に重ね合わせた。そうすると、「敏感期」とは次のように定義できる。
「子どもが幼児期に、ある能力を獲得するために、環境の中の特定の要素に対して特別に感受性が高まってくる一定期間。」
長いものを振り回す「敏感期」とは?
モンテッソーリ先生によると、一見大人の目には「問題行動」と映り理解できないことであっても、それはある能力獲得のためのエネルギーが内面からあふれ出てきている現象なのだ、というわけだ。
では、ユウの行動をこの「敏感期」の定義に当てはめてみよう。
「小学校低学年くらいの男の子は、〇〇の能力を獲得するために、長いものを振り回すことによって体感できる△△という感覚に敏感になってくる。」
しかし…。
長いものを振り回すと一体どんな能力が獲得されるというのか?!そんなもんあるのか?!
これはかなりの難題なので、〇〇のところはひとまずスキップして、まずは△△の方から考えよう。
長いものを振り回すことによって体感出来るものは……なんだろ?
「遠いところに手が届く感覚」?
「ダイナミックな動き」?
「手に伝わる物の重さ」?
物を振り回すと、遠心力でその物の重さが実際の重さ以上に体感出来る。またそれゆえに、振り回すことによってダイナミックな動きを体感出来るということだろうか?
まあ…それはそうかもしれない。
では、それは一体どういう能力を獲得するために必要な感覚なのか??(さっき飛ばした〇〇の部分。)
野球?…えーそれから…テニス??えっ?今なんて言った?テニス???えっ、ホントにー?!
だって、そういえば一年くらい前から、ユウが「テニスやりたい!」としきりに言っていたのだ。
それから、恐ろしいことに…奴は最近「ヴァイオリンもやりたい!」と言い出ししていたことを思い出した。ヴァイオリンの弓、確かに長いんですけど…。木の枝みたいだし…。でも、
ヴァイオリンの弓は、振り回すものじゃありませーん!!!
テニスとヴァイオリン
こうやって考えると、「長いものを振り回す敏感期」の解釈とユウが無意識に習いたがっていたテニスとヴァイオリンというのが一致して怖いくらいだ。
テニスに関して言えば、ラケットを持つことによって体からより遠いところのボールを捉え、振り切るダイナミックな動きでボールを力強く、遠くへ打つことが出来る。まさに長いものを振り回すことが大好きなこの時期の男の子にピッタリなスポーツなのだ!
それからヴァイオリン。これは初めは、陰鬱な占いが当たってしまった時のように「やめてよ、冗談でしょ!」と思ったのだが、これも実は理にかなっている、と認めざるを得なくなった。
というのは、実はヴァイオリンは幼い頃に始めた人でないと、なかなか上達が難しい楽器なのである。少なくても小学生低学年で始めていないと難しい。(大人から習い始めても驚くほど上手な人もいるが、それはとても稀だ。)
何が難しいかというと、弓のコントロールだ。弦を抑える方の左手はまだなんとかなる(音感さえあれば)。しかし、弓を扱う右手の動きは、非常にデリケートで微妙なバランス感覚が必要なのだ。
弓は場所によって重さが違うため、バランスのとり方も違ってくる。その微妙な重さの違いやバランスを感じながら右ひじの角度の変化させ、弓を引く。また言葉では分析出来ない程の微妙な匙加減で、音のニュアンスを常に変えていくのが、弓の役目。
基本の奏法はある。でも腕の長さ、体の大きさは一人ひとり違う。小さな頃から自分で弓を何千回、何万回、何億回引いて出す音を聴いていくうちに、最も効率的な自分のボーイングスタイルを身に着けていくのだと思う。
なんて、偉そうに書いているが、霧立もまだまだ勉強中なのだ。変幻自在に音色を操ることが出来るようになるのは、夢のまた夢。
これまで、どうしてヴァイオリンを習い始めるのが遅いとボーイングがなかなか上達しないのか、その理由までは分からなかった。
でも今回、長いものを振り回すユウの行動をモンテッソーリの視点から分析して、初めてその理由が分かった気がした。小学校低学年頃までは、ダイナミックな腕の動きによって物の重さ、バランスを感じとる「敏感期」だったのである。そして「敏感期」以降はそれらの感覚が鈍くなってしまうのだ。
まとめ
ユウが敏感期の衝動から、無意識のうちにテニスとヴァイオリンを選んだのかは謎だ。しかし、テニスもヴァイオリンもこの時期に習い始めることが理にかなっていることだけは分かった。
また、長いものを振り回したがる全ての小学校低学年の男子がテニスとヴァイオリンに向いているか、というとそれもきっと違うだろう。当たり前だが、その子どもの性格や嗜好が大きく関わってくるだろう。(ユウは菜箸を指揮棒に見立てて音楽に合わせて振っていたのだから、やっぱり音楽が好きだったのだ。)
大人にとっては一見「問題行動」も、モンテッソーリの「敏感期」という視点から見つめなおしてみると、全く驚く発見があるものだ。これからも、そうやって前向きに子育ての問題に取り組んでいきたいと思わされた。
いかがでしたか?長いものを振り回したい衝動は、他にもゴルフや剣道などの習得に向けられるのかもしれません。ただ叱るのではなく、発想の転換で育児がもっとワクワクしたものとなりますように!
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