
学校の玄関口で待ち構えて「あいさつ運動」
我が家の息子・ユウは小学5年生。
昨年、イギリスから帰国して初めて日本の学校に通い出した。
カルチャーギャップは山ほどあるのだが、「あいさつ運動」もその一つ。
「生徒会の人達がね、みんな並んで『おはよーございます!』ってずっと言っているんだよ?あれはなに?」
確かに、挨拶するのが目的で人を待ち構えているのは、選挙の立候補者くらいだ。児童会や生徒会役員がズラリと一列に並び、待ち構えたように「おはようございます!」なんて言われたら、ユウでなくてもギョッとする。私だったら、伏し目がちに「お、おはようございます…」と言って一刻も早くその場から離れたくなる。
「○○運動」
「〇〇運動」というのは、往々にして啓蒙活動である。最近の例で言えば、「マイバック運動」。言わずと知れた、人々の環境意識を高めるための啓蒙活動だ。しかし、スーパーに行くたびに店員が一列に並んで「マイバックを持参しましょう!」と呼びかけていたら、必ずマイバックを持ち歩いている私でさえウザいと感じるだろう。
しかも、「挨拶」と「運動」は、ミスマッチな感がある。それは、「挨拶」というものは、一律に人に強要されてやるものではなく、本来自然と出てくる心の動きと関係しているからだ。
もちろん、挨拶は出来た方がいい。それは当然だ。しかし、それは「ごめんなさい」や「ありがとう」と同じように実生活の中でリアルに育まれていくべき礼儀である。一律に「運動」として不自然な形で迫られるものではない、と私は思うのである。
「おはようございます」が最重要な日本社会
日本の学校では、「おはようございます!」という朝の挨拶が最重要な礼儀として考えられているらしい(しかも、大きな声で言わないといけない!)。児童会が一列になって「さようなら!」と声かけしている学校など聞いたことがない。
また、これはどうやら学校現場だけではないようだ。「社会人の基本である挨拶が出来ない奴は、仕事も出来ない!」「挨拶が出来ない人は社会人失格!」なんて言われることがあるらしい。この「挨拶」とはすなわち、朝の「おはようございます」を意味する。大人なのに挨拶が出来ないというのは、確かに驚きだ。(あんなに小学校、中学校、高校…とずっと「あいさつ運動」をやってきたというのに…。)
しかし、私がもっと驚くのは、日本社会では「挨拶」が「仕事の能力」や「人格」をはかる最も重要な指標になっているという点だ。頭の回転の速さとか、気が利くとか、発想力が豊かだとか、そんなことよりまずは
「挨拶」。
恐るべし、「挨拶」…。(どうりで幼少期から「あいさつ運動」に躍起になるはずだ。)
イギリスで「挨拶」はそこまで重視されない
イギリスの学校では、校長先生が校門のところに立って”Good morning.”と挨拶して生徒を迎え入れていた。しかし、生徒を並ばせて「あいさつ運動」をさせるようなことはしない。
親も、子供にいちいち「Good morningと言いなさい!」とか「Helloと言いなさい!」とは教えていないように感じた。小学生低学年くらいだと、こちらが挨拶をしても全く挨拶を返さない子供もいる。
しかし、イギリス人が躾やマナー教育をないがしろにしているわけではない。いや、むしろ日本の親より躾には厳しいと思うことが多々あった。例えば、
・人にものを頼む時は、必ず”Please”を付ける。”Please”を付けないと、親は決して動かない。また、親に対してでさえ、”Would you~, please?””Could you~, please?”のように丁寧な言葉遣いをするように教える。
・食事中、人の前を遮って他の皿に手を伸ばしたり、塩や胡椒を取ってはいけない。何か取りたい時は、” Could you pass me the salt, please?”(「そのお塩を取ってもらえますか?」)などというように頼むことを教えられる。
・くしゃみやゲップをしたら”Pardon me.””Excuse me.”(「すみません」)と言う。
・後ろから来る人のために、ドアを押さえて通してあげる。
などなど、ぱっと思いつくだけでもこんな感じだ。「それはとても行儀に厳しい家庭でしょ?」と思われるかもしれないが、とんでもない。これはごくごく普通の家庭での躾である。幼稚園くらいの年ごろから親はこのような「躾の基本」を子供に教えていく。
つまり、イギリスでは「挨拶」というのは礼儀作法の中ではどちらかというと、マイナーな躾といっていいだろう。それ以外の身につけるべきマナーがたくさんあるからだ。
ひるがえって日本では、一にも二にも「挨拶」。食事中のマナーや他者への思いやり、言葉遣いは二の次、三の次なのだ。
日本で「挨拶は礼儀の基本!」とされるのは、他の礼儀がないがしろにされているからなのではないだろうか?!
と、霧立は思った。